職場から自宅まで歩いて帰ろうVol.3:東日本大震災から6年、半袖隊長、あの日を忘れない、がんばろうフクシマ
- GPS
- 03:10
- 距離
- 16.8km
- 登り
- 42m
- 下り
- 8m
コースタイム
- 山行
- 3:11
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:11
職場から自宅まで歩いて帰ろうVol1:東日本大震災から4年、半袖隊長、がんばろう東北、がんばろうフクシマ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-599030.html
第2回:2016年03月11日(金)
職場から自宅まで歩いて帰ろうVol2:東日本大震災から5年、半袖隊長、がんばろう東北、がんばろうフクシマ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-825396.html
天候 | 晴れ …夜間なのでよく分からず |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年03月の天気図 |
アクセス | 全て徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
全て一般道路で歩道完備ではあるが、 ●交通事故・・・特に暴走自転車 ●スマホ命・・・これは最近少し減った に注意。 |
その他周辺情報 | トイレ:公衆トイレはほとんどなく、コンビニや地下鉄駅に頼ることになる。 |
写真
感想
あれから6年・・・ニュース番組を見ていても、急に震災関連の特集が多くなって来た。
普段はスタジオにいるキャスターもこの時ばかりは被災地へ飛んで、現地からの中継が多い。
特に今年はフクシマに焦点が当たっているようだ。
福島出身者(子供)への陰湿なイジメ。
悪いのは東京電力、いや国家政策そのものなのに、なぜ、住民をイジメて排除しようとするのか?
昨年も書いたが、我が身を振り返ってみればあっという間の6年間。
しかし震災当事者の立場になってみれば、あっと言う間どころか、長い長い6年間であり、この先も何年続くのか?大いに不安に違いなかろう。
戻るべき自治体に戻るのか?戻らないのか?いや戻れないのか?
人それぞれの事情があり、答えは一つではない。
あれから6年も経つのに、花の時期以外に福島に行くこともない。
何もしてない・やってないなぁ・・・と自問。
せめて自分自身の中で風化させないために、一昨年・昨年に続いて、今年も歩いて帰宅してみた。
今年も春を目前にしながら冷たい日だった。
今年は職場を移動したこともあって、歩行距離が約2km多かった。
だから遠く感じたんだな・・・僅か2kmだけなのに。
昨年はこんなことを書いていた。
「どんな日常が待ち受けているのか?
今と同じく山野を駆け巡ることができるのか?
それとも山野を駆け巡るのは夢だけになってしまうのか?
……変化の春がやって来る。」
昨年6月の大ケガのことを考えれば、今、こうして職場から歩いて帰って来ることが出来るだけでも御の字だ。
今日の一曲はこれしかないでしょう・・・「花は咲く」
オリジナルバージョンはこちらから。
https://vimeo.com/51717456
YouTubeは杉並児童合唱団の歌声です。
お疲れさんどしたm(__)m
隊長
コメント
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Yamabeeryuさん、おはようございます。
自宅へと あの日へと辿る 春の街
本日が3.11ですネ。あれから6年、早いものです。
隊長の“自宅まで歩いて帰ろう”。昨年も拝見して、“よし、小生も !”、と思わなくもなかったのですが・・・・、この時期はAMPスーツ※でもないとダメ かも・・・・。
※「アバター」で、ガチムチ の大佐が乗ってたあれですよ
震災後の2年間被災地(仙台)にいましたが、赴任当初は津波被害の惨状に、自然の猛威に恐怖し、悲しみました。ですが、次第に取って代わったのが、注目を集めるが故なのか、無理解な強権行使、復興に乗じた利害優先など、一部なのでしょうが、人の心の闇?社会の構造の歪み?へのやるせなさでした。
原発いじめですか?無知ゆえの異物疎外意識を堂々と正当化したいなら、「その方面のヒーロー トランプさんに、移住申請してみれば?」とか思ったりします。
仕事のピークは過ぎたものの、花粉がピークで自宅待機のodaxでした
こんなパフォーマンスぐらいしかやれないので、変わり映えせぬ企画ながら、3年目に突入しました。
幸いに拙宅の場合、大きな河川を渡ることがないので、渡河渋滞はないとは思いますが、普段でも3時間掛かる道なら、地震であれこれ倒壊・破損していると、いったい何時間かかるのだろうと思います。
今頃になって、助成金狙いの詐偽だった・・・との新たなニュースも流れてきますね。
性善説がまかり通る世の中ではないのは分かっていても・・・やるせないですね。
拙者も花粉症があったはずなのに・・・近年、なぜか大人しくなったのです。
本日も針葉樹・広葉樹の混合林に行って来たのですが、けっこう肌寒くて、花粉は(目には)見えませんでした。
隊長
福島県は浜通り、中通り、会津の概ね三地域に分かれます。
そのうち、山人が行く対象は中通り〜会津境の安達太良、那須、会津の磐梯、尾瀬、会津駒、飯豊などでしょうか?
尾瀬に入る人の動向が、片品と檜枝岐で原発以降片品の比率が増えたと聞きました。
でも、磐梯、尾瀬、会津駒、飯豊って例の原発からかなり離れています。
無理強いはしませんが、さすがに今となっては気にしすぎなのかと感じています。
吾妻の場合、火山ガスの方がよほどかと。
また、浜通り在住だった方には、東電憎しの思いも未だ拭えないかもしれません。
でも、尾瀬の東電小屋で話を聞きましたが、子会社、孫会社の人々まで含め、
除染に従事したそうです。そんなのを繰り返していて、やや精神的に病み気味にも見えましたが。
いつ落盤してもおかしくない中で作業をしていた古の鉱夫と同じと感じました。
兵隊帰りのPTSDってこんな感じか?とも。
転校生へのいびりに関しては、正直言って、異なるものを拒絶するこの国の学校教育、とりわけ刑事罰を科されない、小中学生の期間の害悪であると。
所謂フクシマいじめは、その理由は知らぬ子供に対し、
偏見に満ちた短絡的なことを言い放つ親・ないし担任にある。
そして、原因を作った者が裁かれることは99%ない。
根本原因は、幼少期教育におけるシステムの在り方にあるかと。
一応、色んなNPO法人ができて昔に比べましになったのでしょうが、そういう体質は少なくとも数十年来変わらないのではと思います。
そして、問題はそういう幼少期を過ごした子供は卑屈に育つということ。
そもそも新潟・福島の発電所の電力で関東に集中した人々の生活を賄っていただいている認識はあるのでしょうか?
恩を仇で返していることを知らないんでしょうね。
往時の計画停電騒ぎ。あれを喰らっていないからできるんじゃないですか?
静岡は富士川以西で50Hzと60Hzと別れ、50Hzである東部は東電、60Hzである西部は中電。
案の丈、東電エリアからは辺境である静岡東部は計画停電の嵐で事業がままならず、地方の拠点に評価業務遂行のための人・モノを移して何とかやったんです。
フクシマいびりする家には1月くらい停電させればいいのでは?
電気代の滞納でやっていることです。
それくらいの懲罰はあっていいのでは?
法律の壁というなら変えればいいことです。
私は恩を仇で返すことの報いを受けないから傲慢極まりないことができるのだと思います。
人に嫌がらせができる人間は、その人に自身がなった場合を想定できない、心の貧しい人間。
なので、この件で不当にいじめをうけたと感じている人々たちにはこういいたいです。
「ああ、こんな心の貧しい人間がいるのか、可哀そうな人たちだ」と。
確かに不幸にして受けた試練かもしれません。でも、それを乗り越えたとき、凡百の人々より、逞しく生きるいていく力を得る機会を得たのだと、そう思ってほしい。
既に癌を患っていた故 田部井氏が、福島の青年たちを日本最高峰の富士に立たせて、心の拠り所を持てとされた事業。
あれも妥当な処方箋だったように思えます。
そして…。
いかなる経緯でできたかは知りませんが御前崎にある浜岡原発。
あれが福島第一のようにすっ飛んだら、本当にこの国は終わります。
これ以上は控えますが、約70年前にヒロシマで被爆した人を蔑んだ人と同じことを、今も行っている日本人の心の貧しさをどうか是正していただきたいものです。
フクシマ原発事故の影響は、尾瀬の入山者が激減との結果をもたらしました。
会津側(桧枝岐)からの入山者だけでなく、群馬側(尾瀬戸倉)の入山者も。
拙者がよく利用している区の保養施設(群馬県川場村)も、原発事故をきっかけに利用者が低迷し、昨年、ようやく事故発生前の水準に戻って来たそうです。
ホントに目には見えませんが、知らず知らずのうちに避ける・回避する対応をとってしまっているのでしょうね。
フクシマいじめの問題は根が深いのか?それともなんも考えていない浅はか者のなせる業か?
苦難から逃れるために来た先で、また、心の苦難。
こんな追い打ちは止めましょうね。
今年もまた行けるかなぁ、うつくしま福島。
隊長
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