名鉄笠松駅。今日のスタートはここから。少し西へ行って御鮨街道を南へ歩きたいと思います。
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4/28 9:52
名鉄笠松駅。今日のスタートはここから。少し西へ行って御鮨街道を南へ歩きたいと思います。
春日町で御鮨街道へ合流。商店には近くに笠松競馬場があるのためか、馬のデザインされた壁画が描かれていました。
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4/28 9:57
春日町で御鮨街道へ合流。商店には近くに笠松競馬場があるのためか、馬のデザインされた壁画が描かれていました。
笠松町マンホール。トンボがデザインされている。
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4/28 9:58
笠松町マンホール。トンボがデザインされている。
鮎鮨街道・笠松問屋跡。岐阜の長良川で取られた鮎を発酵して鮎鮨を作り、この笠松問屋で受け継ぎ次の一宮問屋へ送られました。
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4/28 10:06
鮎鮨街道・笠松問屋跡。岐阜の長良川で取られた鮎を発酵して鮎鮨を作り、この笠松問屋で受け継ぎ次の一宮問屋へ送られました。
名古屋街道(御鮨街道)と伊勢街道の分岐でここに関所が設けられていました。今回は左に進み木曽川堤防へ。
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4/28 10:14
名古屋街道(御鮨街道)と伊勢街道の分岐でここに関所が設けられていました。今回は左に進み木曽川堤防へ。
笠松湊。江戸期にはここに川湊が置かれたため、その名残として灯台が置かれています。対岸にかすかに138タワーが見えます。
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4/28 10:16
笠松湊。江戸期にはここに川湊が置かれたため、その名残として灯台が置かれています。対岸にかすかに138タワーが見えます。
笠松の道標。「すぐ京道」「左なごや道」。先ほどの木戸跡あたりに置かれていた道標。元々は天保四年に建てられたものですが、ここに復元し移設されました。
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4/28 10:17
笠松の道標。「すぐ京道」「左なごや道」。先ほどの木戸跡あたりに置かれていた道標。元々は天保四年に建てられたものですが、ここに復元し移設されました。
反対側は「右いせ道」「天保四年十二月高島久右衛門建之」
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4/28 10:17
反対側は「右いせ道」「天保四年十二月高島久右衛門建之」
湊へ向かう石畳。明治時代には大八車が使われるようになり、車輪が食い込まないように敷き詰められ石畳を作った。
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4/28 10:20
湊へ向かう石畳。明治時代には大八車が使われるようになり、車輪が食い込まないように敷き詰められ石畳を作った。
木曽川橋を渡ります。昭和12年に開通した古い橋です。昭和44年に名岐バイパスが完成するまで、江戸時代からずっとこの道が尾張と美濃を結ぶ幹線道路でした。
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4/28 10:24
木曽川橋を渡ります。昭和12年に開通した古い橋です。昭和44年に名岐バイパスが完成するまで、江戸時代からずっとこの道が尾張と美濃を結ぶ幹線道路でした。
木曽川橋を渡ると愛知県一宮市へ。歩いて県境を越えると無性に気分が高揚します。
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4/28 10:31
木曽川橋を渡ると愛知県一宮市へ。歩いて県境を越えると無性に気分が高揚します。
宝江の渡し跡。現在の橋から少し上流にあります。橋が架かる以前は渡船がありました。中央に道標があります。
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4/28 10:34
宝江の渡し跡。現在の橋から少し上流にあります。橋が架かる以前は渡船がありました。中央に道標があります。
「左なこや道」「右津しま起道」 ここで分岐し右へ行くとと美濃路起宿から津島方面へ。今回は左へ進みます。
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4/28 10:36
「左なこや道」「右津しま起道」 ここで分岐し右へ行くとと美濃路起宿から津島方面へ。今回は左へ進みます。
尾西鉄道木曽川橋跡。ここに木曽川橋駅跡があり木曽川港から新一宮へ結んでいたそうです(一部が名鉄玉ノ井線として存続)。この前の道路は今も「電車道」と呼ばれているそう。
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4/28 10:41
尾西鉄道木曽川橋跡。ここに木曽川橋駅跡があり木曽川港から新一宮へ結んでいたそうです(一部が名鉄玉ノ井線として存続)。この前の道路は今も「電車道」と呼ばれているそう。
イオンモール木曽川。街道は混雑するイオンの北側を回り込むように通ります。元は倉敷紡績だった広大な跡地を利用しています。この近辺には紡績会社の跡地を利用したショッピングモールは多いです。
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4/28 10:56
イオンモール木曽川。街道は混雑するイオンの北側を回り込むように通ります。元は倉敷紡績だった広大な跡地を利用しています。この近辺には紡績会社の跡地を利用したショッピングモールは多いです。
県道181号を東へ。名鉄・JRの踏切を越えます。歩道がなく交通量が多い。何度もぶつかったのか電柱が傾いて危ない。
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4/28 11:05
県道181号を東へ。名鉄・JRの踏切を越えます。歩道がなく交通量が多い。何度もぶつかったのか電柱が傾いて危ない。
この信号を右折し南へ進む。ここの地名は往還東・往還西といい、街道の名残を感じます。
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4/28 11:06
この信号を右折し南へ進む。ここの地名は往還東・往還西といい、街道の名残を感じます。
黒田城跡。街道から300mほど西へ。黒田小学校の脇にあります。大河ドラマにもなった山内一豊はこの地に生まれたといわれています。
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4/28 11:17
黒田城跡。街道から300mほど西へ。黒田小学校の脇にあります。大河ドラマにもなった山内一豊はこの地に生まれたといわれています。
黒田城跡にある山内一豊公の像。「馬ぞろえ」のシーン。奥さんの千代さんが貧乏ながら馬を買うために十両だしたエピソードから。
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4/28 11:16
黒田城跡にある山内一豊公の像。「馬ぞろえ」のシーン。奥さんの千代さんが貧乏ながら馬を買うために十両だしたエピソードから。
街道に戻ります。久納硝子店を南へ。なかなか趣がある建物。
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4/28 11:24
街道に戻ります。久納硝子店を南へ。なかなか趣がある建物。
河野善竜寺。通称:黒田御坊。明治天皇行幸の際に休憩所。
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4/28 11:26
河野善竜寺。通称:黒田御坊。明治天皇行幸の際に休憩所。
旧・木曽川町(現・一宮市)マンホール。町の花のスイセン。現・一宮市のマンホールが目立ち、木曽川町時代のものは意外と数が少ない感じ。
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4/28 11:26
旧・木曽川町(現・一宮市)マンホール。町の花のスイセン。現・一宮市のマンホールが目立ち、木曽川町時代のものは意外と数が少ない感じ。
黒田御坊の前にある石仏群。
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4/28 11:27
黒田御坊の前にある石仏群。
愛宕神社。高い石段の上にあります。隣の蔵も立派。
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4/28 11:29
愛宕神社。高い石段の上にあります。隣の蔵も立派。
馬頭観音とお地蔵さん。字名は南出口というので、ここが黒田の端っこなのかも。
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4/28 11:31
馬頭観音とお地蔵さん。字名は南出口というので、ここが黒田の端っこなのかも。
お地蔵さん。馬頭観音のはす向かいにありました。字名は地蔵東。これに由来しているのでしょうか。
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4/28 11:32
お地蔵さん。馬頭観音のはす向かいにありました。字名は地蔵東。これに由来しているのでしょうか。
伊孝毛織さん。東海北陸道高架下を過ぎると今伊勢町へ。ノコギリ型の工場。ガチャガチャと機械の音が聞こえてました。
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4/28 11:43
伊孝毛織さん。東海北陸道高架下を過ぎると今伊勢町へ。ノコギリ型の工場。ガチャガチャと機械の音が聞こえてました。
石刀神社の社名碑。名鉄の駅名にもなっている神社。ここから800mほどあるので今回はスルー。
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4/28 11:52
石刀神社の社名碑。名鉄の駅名にもなっている神社。ここから800mほどあるので今回はスルー。
彼岸縄手地蔵。尾張六地蔵第一。交通量の多い県道沿い。
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4/28 11:58
彼岸縄手地蔵。尾張六地蔵第一。交通量の多い県道沿い。
酒見神社。清酒の醸造はここが初めて行われ、「清酒醸造の元祖」と呼ばれる。伊勢内宮より「今伊勢の庄」の名をもらい、現在の地名ともなっている。
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4/28 12:36
酒見神社。清酒の醸造はここが初めて行われ、「清酒醸造の元祖」と呼ばれる。伊勢内宮より「今伊勢の庄」の名をもらい、現在の地名ともなっている。
酒見神社の神馬。筋骨隆々としていてとっても力強く感じる。
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4/28 12:36
酒見神社の神馬。筋骨隆々としていてとっても力強く感じる。
県道から旧道へ入ると静かな道となる。旧街道沿いには薬屋さんが多い気がする。
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4/28 12:47
県道から旧道へ入ると静かな道となる。旧街道沿いには薬屋さんが多い気がする。
日光川を越えると一宮市街へ。
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4/28 12:48
日光川を越えると一宮市街へ。
真清田神社。一宮市の中心部。「尾張国一之宮」で、それがそのまま市名となった。鳥居の奥にある楼門が立派。
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4/28 13:01
真清田神社。一宮市の中心部。「尾張国一之宮」で、それがそのまま市名となった。鳥居の奥にある楼門が立派。
真清田神社の絵馬。かわいらしい。
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4/28 13:09
真清田神社の絵馬。かわいらしい。
一宮市本町商店街。ものすごい数の鯉のぼり。「繊維の町」らしい飾りつけ。
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4/28 13:19
一宮市本町商店街。ものすごい数の鯉のぼり。「繊維の町」らしい飾りつけ。
一宮市マンホール。市の花「キキョウ」と、中央に一宮市の市章。旧・木曽川町にもこのデザインが多かったです。
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4/28 13:27
一宮市マンホール。市の花「キキョウ」と、中央に一宮市の市章。旧・木曽川町にもこのデザインが多かったです。
古代エジプトっぽい花壇。商店街を過ぎて、南へ進むと道の両側にあります。由来はわからない。。
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4/28 13:31
古代エジプトっぽい花壇。商店街を過ぎて、南へ進むと道の両側にあります。由来はわからない。。
地蔵寺。一宮市街の南外れ。塀が無く公園のように開放的な雰囲気。
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4/28 13:35
地蔵寺。一宮市街の南外れ。塀が無く公園のように開放的な雰囲気。
大神神社。牛野通の脇にある。郷社の割には小さいなと思ったら、本社はここより1キロほど西にありました。街道からでもお参りできるようにということかも。
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4/28 13:53
大神神社。牛野通の脇にある。郷社の割には小さいなと思ったら、本社はここより1キロほど西にありました。街道からでもお参りできるようにということかも。
多加木の妙興寺道標。ここより600mほど西に妙興寺があります。信号のすぐ脇で写真を撮るのが結構怖かった。
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4/28 14:03
多加木の妙興寺道標。ここより600mほど西に妙興寺があります。信号のすぐ脇で写真を撮るのが結構怖かった。
真清田大神降臨伝承地。名神高速の南。街道から少し西にある油田公園にあります。先述の真清田神社の祭神はここに降臨し、その後に遷座したという伝承があるそうです。
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4/28 14:19
真清田大神降臨伝承地。名神高速の南。街道から少し西にある油田公園にあります。先述の真清田神社の祭神はここに降臨し、その後に遷座したという伝承があるそうです。
街道は稲沢市に入ります。田舎の道なのに妙に幅広く、微妙なカーブをしている所に旧街道らしさを感じます。この辺りは松並木があったと伝えられ、大正時代にはこの街道は国道に指定されていたそうです。
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4/28 14:28
街道は稲沢市に入ります。田舎の道なのに妙に幅広く、微妙なカーブをしている所に旧街道らしさを感じます。この辺りは松並木があったと伝えられ、大正時代にはこの街道は国道に指定されていたそうです。
赤池一里塚跡。隣には御巡幸之碑が立ちます。
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4/28 14:38
赤池一里塚跡。隣には御巡幸之碑が立ちます。
下津下町付近。立派な長屋門。道幅は3mありスピードが出やすいためか所々にわざと幅を狭くするポールがあります。
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4/28 14:50
下津下町付近。立派な長屋門。道幅は3mありスピードが出やすいためか所々にわざと幅を狭くするポールがあります。
下津付近の畑。この辺りは水田よりも畑が目立ちます。少し粘り気があるような土質っぽい。盛り土がしてあり道路より高い所にあります。
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4/28 14:55
下津付近の畑。この辺りは水田よりも畑が目立ちます。少し粘り気があるような土質っぽい。盛り土がしてあり道路より高い所にあります。
下津城跡の碑。街道から200mほど東へいった下津小学校前に碑がポツンとあります。
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4/28 14:55
下津城跡の碑。街道から200mほど東へいった下津小学校前に碑がポツンとあります。
下津新町で本日は終了。街道は左へ行きますが、右の稲沢駅へ向かいます。
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4/28 15:10
下津新町で本日は終了。街道は左へ行きますが、右の稲沢駅へ向かいます。
稲沢市のマンホール。旧市の花ベニサザンカと松の木のデザイン。現在市の花はキクに変更したようです。
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4/28 15:15
稲沢市のマンホール。旧市の花ベニサザンカと松の木のデザイン。現在市の花はキクに変更したようです。
JR稲沢駅。連絡通路があり高架上に改札口があります。ここから帰路へ。
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4/28 15:25
JR稲沢駅。連絡通路があり高架上に改札口があります。ここから帰路へ。
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