明神岳 東稜 ソロ 滑落 遭難
天候 | 8/12(日)晴 のち 雷雨(夜) 8/13(月)雨 時々 曇り 8/14(火)快晴(早朝) |
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過去天気図(気象庁) | 2018年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
神奈川 川崎よりバイクで沢渡着、 最終ひとつ前のバスにて上高地着 8/14(火) 県警ヘリ やまびこ1号 にて救助され搬送 |
コース状況/ 危険箇所等 |
《当初の計画》 8/12(日) 上高地 - 明神 - ひょうたん池 - 第1階段 - ラクダのコル(ビバーク) 8/13(月) ラクダのコル - バットレス- 明神主峰 - 前穂高岳 - 吊り尾根 - 穂高岳山荘(泊) 8/14(火) 穂高岳山荘 - 北穂高岳 - 穂高岳山荘(泊) 8/15(水) 穂高岳山荘 - 涸沢 - 横尾 - 上高地 《コース状況》 〜詳細は各写真コメント、感想にて〜 •明神〜宮川のコル: 踏み跡明瞭、ペンキ印も豊富 •宮川のコルのトラバース: ガレ地草地は踏み跡無く何処からでも行けるが、広大なため逆に悩みつつも最短最適ルートを意識して進んだ。ひょうたん池方面を目指すのではなくⅣ峰東稜基部を目指して斜め右へ遡上するようなイメージで足場の良いところを選びつつ、が適当のようだ。 •ひょうたん池〜第1階段: 草地帯をかき分けて踏み跡を辿るイメージ •第1階段: 特に下半分の、草付きのミックス帯が危険を感じる所も多く厄介だった。スラブ岩は手掛かりが浅いため草を掴み草付きの土面をマウントするようなムーブも何度かしたが、もし土が湿って緩かったら怖い。 上部の岩場も、スラブ壁は手掛かり足掛かりが浅めで慎重なムーブにて。高度感もあり緊張した。 個人的には前穂北尾根4峰や北鎌尾根P4並に手強いと感じた。 •第1階段〜東陵の頭〜ラクダのコル: 這松含め枝木の藪漕ぎが厄介。 ラクダのコルへの下りは急なので枝木を掴みながら慎重に。 •ラクダのコル〜バットレス: 1段目の取付きを誤って?右に巻き、2段目の基部を右側から登り始めたが、濡れて滑りやすいことと手掛かり足掛かりが浅い中で垂壁を中途まで登り、厳しいため戻る判断をして下り始めた矢先に伸ばした足先が抜けてしまい、その拍子に手指も剥がれてしまい滑落した。 (→詳細は感想にて解説) |
その他周辺情報 | •バイク駐車: 足湯第2P脇 ライダーハウスともしび 屋内ガレージ (@300円/日) •入浴: 小梨の湯 (@600円) •仮眠: 上高地バスセンターの軒下ベンチ •松本市 相澤病院 救急救命センター |
写真
感想
《はじめに》
今回、自らの過信や技量不足、天候含めた状況判断及びルートやムーブの選択判断の至らなさにより招いた滑落事故により、長野県警松本警察署、山岳遭難救助隊・民間の救助ボランティア、医療機関、バイク駐車先等、様々な方々にご迷惑をお掛けし誠に申し訳有りませんでした。
そして、多大なご支援を受け、生命を救って頂きました。
本当に有難うごさいました。感謝申し上げます。
ここに自責の念を込め、事故に至る経緯や背景と事故後の対応と経過を改めて振り返り記録することにより、自らへの戒めとして心に強く刻むと共に、自分のような事故の発生防止のための反面教師になればとの想いから公開する次第です。
また、大変お世話になり生命を救って頂いた警察、救助隊の方々による山岳遭難救助の実際を少しでも知って頂ければ、と思います。
なお、決して事故・不幸自慢や売名を意図するものではありませんが、私の語彙力表現力の拙さから不快に感じられる部分もあるやもしれません、その際はご容赦頂きたく存じます。
(追記)
長野県HP 山岳通信 に私の案件も掲載されていました。誠に申し訳ありません。
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/sotaikyo/documents/n123_20180831.pdf
《滑落事故の状況》
早朝、霧雨の中、ラクダのコルを出発しバットレスの岩峰の基部を右側から取付き15分ほど進み、難しい、厳しいムーブの連続でこれはヤバいかもと思いつつも、垂壁のクラックスラブにてあと1手掴めれば目先の上の安全地帯(:藪枝混じりのステップ)にマウント出来そうな所まで来て、伸び上がって片膝をクラックにジャミングして固定し最後の手掛かりを探ったのだが見い出せず、仕方無くクライムダウンして少し戻り逆の左側のルートを探ることに決めて下り始めた矢先、下に戻し伸ばした脚先のスタンスがスルッと抜けてしまい、その拍子に手指も剥がれてしまい落下した次第でした。
このようなリスキーなムーブは落ちたらヤバいポイントでしかもビバーク重装備、重登山靴で繰り出すようなものではありません(しかも濡れて滑りやすい条件なら尚更)。もしやるのだとしてもセルフビレイして行うべきものでした。実際には、2手手前で掴んで小休止した太枝を支点として活用できたのですが、この日に限っていつもならザックを降ろさずに使えるように身体に斜め掛けするロープを、濡れて重くなるのを嫌ってザックの天フタに挟むように収納したために直ぐには取り出せず、ビレイをしてより安全に臨むという意識にも薄れ気が回りませんでした。
今改めて考えても明らかに度を越したムーブでありチャレンジで、何故無理をしたのかが解せません。過信や慢心、気の緩みというよりは気が急いでの焦りで冷静さを欠いていたようです。既に自分の技量や経験の範囲を超えていたからか、冷静に的確な判断が出来なかったとしか言えません。頭で身体を制御出来ないパニックを起こしていたのでしょうか、怖いことです。
落下は右脚を伸び切りにした状態で身体が右横向きになり背中側から落ちていくような感覚でしたが、空中浮遊感がボルダリングジムで5m弱のスラブ壁から落ちる時より明らかに長い滞空時間で倍近い印象でしたので7-8m?はあったのでしょうか。但し最初の衝撃は息が詰まったり意識や視界が飛ぶような程ではなく、直ぐに横向きで斜面を転がり落ちるザザザという音(ボブスレーのオンボードカメラのような)と揺れとグルグル回る視界に移り、猛烈な横回転の遠心力で手足が引き剥がされるような感覚の中で何とか腕と脚と首を畳んで丸め身体を小さくしようと耐えた後、ジャリジャリという音と共に止まりました。
気が付いたら岩壁から60〜70mは転げ落ちたのでしょうか、斜面のずいぶん下に居ました。その少し先からは傾斜が急になっていたので、もしここで止まらなかったら更に数100m下の谷底まで転がり落ちていたかもしれません。ゾッとしました。
暫く状況が把握出来ず、気も動転して荒い呼吸をしていたのですが、身体を動かした時に少しズルっと滑ったことに恐怖し慌てて周囲の安定してそうな場所を探します。最初は左側に行きましたがそこも未だ不安なため少し上方の写真の撮影地点に移ります。この時初めて右脚と右肩が上手く動かせないことに気付き、四つん這いが出来ないため匍匐前進の横向きのような、片脚で蹴り肘と尻でズリ寄る尺取虫のような動きで這い上がりました。背中のザックが重く何度もズリ戻り苦労しましたが、反復動作が似ている印象の、若い時の柔道部での寝技の基礎練の動きを身体が憶えていたようで役に立ったように感じました。
安定した地点に辿り着き、身体や周囲の状況確認をし、撮影もして、水を飲もうとしたら胸元に下げたPETボトルは穴が空き満量が漏れ出ていました。時間をみたら腕の時計も有りません。ともかく不自由ながら移動動作は出来そうなため、先ずは稜線を目指して休み休みつつ這い上がりました。身体のあちこちをぶつけて出血も有るようで制御しにくい違和感はあるものの余り痛みは感じません。頭に有ったのは「ここで動けなくなったら死んでも見つけて貰えない、積雪や雪崩で谷底へ押し流されてしまう」そればかりでした。
稜線に辿り着きストックを組み立ててなんとか立ち上がることが出来たので、松葉杖のような動きでラクダのコルまで移動し、荷物を降ろしポンチョ型ツェルトと予備の水(無事でした)を取り出してポンチョを被り給水して心を落ち着かせてから救助要請の連絡をした次第です。雨は霧雨から断続的な本降りに変わりつつありました。
(後日追記)
実は滑落し止まった先の斜面では携帯の電波が届かず「..終わったか」との想いもよぎりました。落ちた岩壁や止まった斜面を撮影したのは、死んで見つかった後でも解るように「証拠写真にでもなれば」との考えも有ってのことでした。
一方で、前夜のらくだのコルでのビバークの際に雷雨開けの晴れ間に携帯の電波が入った事実が有ったため「なんとか稜線まで這い上がろう」というモチベーションに繋がりました。
稜線で携帯の電波が届いたことと、動けなくなるような手足の複雑開放骨折や大出血、頭部打撲をしなかったことが大変幸いしました。
《滑落〜救助要請〜搬送までの時系列》
●8/13(月)
8:00 頃 滑落
8:39 発信(通話9分)松本警察署へ救助要請
以下質問&指示有。応対は松本警察署T氏
-個人情報、登山届の提出先と時間
-レスキュー保険の加入の有無
-身体と怪我の状況、出血の有無
-ヘルメットを着用していたか、頭部の損傷、意識や気分の具合の確認
-位置情報、安全な場所か
-個人情報を報道メディアに公開する旨
-天候、気温、寒さ、防寒装備の確認、寒さ対策をして連絡を待つようにとの指示
-水と食料、携帯バッテリーの確認
-携帯を常にONにし余計な他所への連絡等によるバッテリー消費を控えるようにとの指示、等
9:49 受信(2分)警察署T氏より
-体調と怪我の具合、天候の確認
-天候不良のためヘリは待機中のままの旨
-陸からの救援部隊(民間含め総員6人)を編成し向かわせる旨
-携帯バッテリーの確認
-恐らくヘリは飛ばせず長丁場となるためツェルトを張りビバーク体制を取るようにとの指示、ツェルトの色の確認
-自分は怪我も水食料もビバーク装備も1日2日は十分持ち堪えできる、待てるのでより緊急重大な他の方が居るならそちらを優先して頂いて構わないと伝える
14:39 受信 (3分)警察署T氏より
-前回と同項目、及び陸からの救援部隊が行動中の旨
-風雨や視界の具体質問
(後日追記)
「明神主峰は見えるが3峰は見えない」
「前穂北尾根は3峰の途中から上がガスで見え隠れ、20-30秒の間隔」
「風向きは北尾根の上から下方向、涸沢側から奥又側へ斜めに稜線を超える感じ」
といった具体的なやりとりをした記憶が有りますが、左右の視界に入る稜線は両方共登った経験が有るため質問にも具体的に答えることはできていたと思う。
後から考えると、ヘリ救助にとって「風」と「視界」の情報がとても重要なのだな、と改めて感じた次第です。
16:12 受信 (3分)警察署T氏より
-前回と同項目
-陸からの救援部隊はひょうたん池到着
-17:00に救援活動中止、翌日5:00再開
-活動停止中は携帯OFFし明朝5:00の連絡を待つようにとの指示
-水と食料、防寒の確認
-明朝までしっかり頑張る旨の激励
同日の天候は霧雨→9:00以降は断続的な風雨、不自由な身体のためしっかり設営出来なかったためか、夜半の強風雨にてツェルトのロープアンカーが外れストックが倒れ芋虫状態となる。気温は推測10℃(滑落時に時計紛失し測定不可だが前夜の11℃よりは寒い体感)
濡れたレインウェアを脱いでシェラフにもぐり込んだのだが、潰れたツェルトがまとわり付いて冷たさがジワジワ伝わって来る。背中のエアマットを介して地面の水の流れも感じる。恐らく体感温度は更に低いのだろう。
身体の震え、歯のガチガチの中でウトウトしつつ、ヤバいと思っては、そう言えば地べたに這って叫ぶ虫の魂、みたいな唄が有ったな、と想い出しては時々大声で唄ったり叫んだりしていた
●8/14(火)
4:59 着信(1分) 警察署 T氏より
-体調、怪我の具合、天候の確認
-携帯バッテリーの確認、連絡を待つ旨
-ヘリにて救援を準備中
-陸からの救援隊も行動再開しヘリ救助不調の場合に備え向かっている旨
-荷物撤収開始することの指示
5:10 着信 (4分)ヘリ隊 G氏より
-体調や天候の確認、ヘリを飛ばせる見込
-到着予定6:00. 当地の地形や風や視界の詳細質問
-荷物量の確認、ヘリには搭載せずデポする旨
-ヘリ爆風への注意、モノが飛ばないようデポ荷物を全てパッキングすることの指示
-ヘルメットの着用、私物ハーネスは外して荷物に収納することの指示
5:15 着信(43秒) 警察署 T氏より
-ヘリ到着予定 6:00
-荷物をデポする必要がある旨
5:36 着信(16秒)警察署 T氏より
-ヘリ到着予定 5:45
5:45 頃 県警ヘリ到着 やまびこ1号
上空から現地の状況を確認し、1度遠方へ離れる。
5:48頃 ヘリよりG氏降下、1度ヘリは離れる
G氏より牽引時の注意事項の説明、専用ハーネスの着用
-カラビナ類は絶対に触らない旨
-ホイスト(牽引具)の先端の黄色リングは赤い部分以外は握ってOK
-自分に抱きつくのでもOK、向き合うカタチで牽引する
-ヘリに入る時はお尻から入るように押し込むのでエビのようにお尻を突き出すような姿勢を取ることの指示
-1度涸沢で降ろす旨(燃料補給 及び 北鎌尾根の要救の救助のため)
5:50頃 牽引されヘリに収容される
6:00頃 涸沢に降下、1度降りる
待機していた涸沢駐在の救助員4名の補助によりヘリポート脇に座り、尋問
個人情報や体調、事故状況、登山届情報、ソロ登山のリスクと叱責
お台場のTV会社の山岳ヘリレスキュー特番のカメラクルーが涸沢の救助隊に同行し脇で撮影しており、警察の尋問後インタビューを受ける
6:30頃 ヘリが戻り再度収容される
北鎌尾根の要救(女性)と共に搬送
(後日追記)
涸沢での再収容のシーンが
「岳人」2018年 12月号 「山の事故特集」の見開きに掲載されていました。
(:追加写真 参照)
6:50頃 松本市の相澤病院に到着、救急救命センターに収容される
応急処置、各種検査、外傷部の切開・消毒・縫合、破傷風予防注射の後、一般病棟へ移動し抗生剤点滴、右脚に装具装着
午後 松本警察署 C氏来所 尋問及び説明
-個人情報、登山情報、実際の登山行動の確認
-滑落事故の具体内容、状況
-救助要請〜救助までの経緯確認
-怪我、体調の確認
-東稜ルートの危険性、過去の事故事例
(2年前の2人組の事例は古い残置ピトンを使いそれが抜けた、他)
-良く頑張ったことへの労い、救助が遅れ一晩待たせたことへの謝罪(:とんでもないことです)
《救助隊スタッフについて》
松本警察署 T氏 には暖かく温厚な言葉掛けと励ましで電話の都度勇気付けられました。寒いビバークの中でも朝になればまた電話が鳴る、それを待つ、ということも頑張れる理由に繋がっていました。
ヘリのG氏はアスリート特有の、香川選手のような俊敏さと快活さと笑顔で安心して頼れる、そんな感じで身を預けて牽引して頂きました。
涸沢のスタッフにガッシリ抱き抱えられた時の腕の太さや体躯の強さには山の安全を最前線で守る方々の逞しさを感じました。また、こちらが叱責されるのは当然な身なのですがTVカメラの前で幾分言葉も優しげであったようです。
病院で尋問頂きましたC氏も大変温厚な方で、優しく労って頂き、私の提出した登山届のようなしっかりした内容だと大変助かり探し易い、助かる/助からないの線引きが有るなら助かる側の人、と喩えていました。また、早朝の晴れ間を縫ってピンポイントでヘリを飛ばせたのは本当に幸運だったそうで、高山帯は昼には既に風雨になっていたそうです。もし今日もヘリを飛ばせなかったら要救の体力の消耗も考慮し家族を呼び寄せていたらしいです。
この他にも陸からの民間ボランティア含む6人の救助隊も実働頂いておりました。これらの皆様のお陰で今こうして生きて帰って来ることが出来ました。感謝の念に絶えません、本当にありがとうございました。
(追記)
滑落した日は天候不良でヘリが飛ばず、救助要請が多い中で翌日AMの限られた晴間を縫って早朝1番に自分と北鎌の要救を救助頂いたように警察の方から伺いました。
後日、他の行方不明者の捜索が救助優先でこの日に打ち切りにされていたということを知りました。大変心苦しい限りです。救助の時間・回数が限られる中で、ヘリで向かう先の「優先順、制限」の救助計画判断が有ったようです。
(追追記)
後日の日記にて、登山計画書の記載内容を遭対協の方にチェックして頂いたことについて触れています。
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-172043
《なぜ、2日目にピークハントを決行したのか》
•天候の影響:
事故前夜は雷雨、当日も明け方から霧雨で、登山を開始した前日朝の時点での天気予報では翌日は更に崩れるということだったため、ビバーク地で停滞するよりは目先のピークを早抜けてしまった方が確実だと判断
•撤退ルートの影響:
予想以上に苦労して登って来た第1階段の下降や懸垂支点の構築が厄介そうに感じ、支点に向いた太枝が多くは無かったという印象により、ピークへ抜けた方が安全かつ確実だと判断
•過去の経験の影響:
2年前に主稜経由で登り前穂へ抜けた経験が有り、直ぐ目先のピークに着けば後は経験済みのルートで余裕を持って臨めるため早く気分的にも楽になりたい、との先を急ごうとする気の焦り
《なぜ、落ちたのか》
•安全第一ではないリスキーな選択
「ボルダリング経験が悪影響」と書くと通っているジムスタッフ始め多方面から叱られると思いますが、以前であれば決して行こうとも触ろうともしなかった、それ以前に対象として気付きもしなかったような、手足の指の第1関節の半分程度の1〜2cmほどの段差に「取り敢えず乗れるか、行けるか、“取り付いてみる"」ような意識や癖が身に付いてしまっていたのかもしれません。そうであればその癖?が影響したのだろうとは思います。但し山には当然ジムのような落下時の衝撃吸収マットは有りませんので気持も動きも制御するのは自分の意思であり意識であり、その制御が出来なかったということなのでしょう。
一方で、週3ペースのジム通いで身に染み付いた、壁から剥がれたら直ぐに受け身の姿勢を取る条件反射(特に首のムチ打ちや腕・脚が身体の下敷きとならないようなポジション姿勢)は頭の保護や手脚の骨折を最小限に留めることに効果を発揮したようには思います。
•セルフビレイをしなかった
(理由は前述の通り)
•濡れて滑りやすい環境
•そもそものルート選択ミスの可能性
(及び、情報収集不足)
改めて過去レコを見たところ「1段目は左回り、2段目は右回り」との説明も有りましたが、自分の選択ルートは1段目は濡れて滑りそうな左側の草付きへの突入を嫌って右から巻いて、2段目の基部を右側から登ろうとして行き詰まったものでした。ずっとソロ行のため絶対に失敗出来ない、事故れない、との想いで過去の同ルートのレコやブログ、画像の類はそれこそ漁るように集めて分析して頭の中に叩き込み、特に重要な核心部は画像出力してメモ書きして持参するようにしていましたが、今回は過去のケースと比べても意識も情報量も欠けていたように思います。過信、慢心です。
(追記)
ヘリ搬送の翌日に同ルートを行かれた方のレコに正しいルートと写真の解説が有りました。
比較すると完全にルート選択ミスしていました。霧雨とガスの影響も有ったとは言え完全に見逃しており、急かされるかのように逆側を巻いて突き進んでいました。ルート選択ミスに加え、戻る判断のタイミングも遅れたミス、そして脚先を滑らせた技術的なミスが重なりました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1557519.html
(追々記)
バリエーション初級ルートの情報源として質量共に優れているサイトがあります。
http://yamanotecho.web.fc2.com/01choivari/index_climb.htm
北鎌や前穂北尾根をやる時にも最も参照し、要所の画像は出力してメモ書きして臨みました。
お気に入りに登録し、バリルートの研究やプラン立てにも活用していました。
明神東稜の記録も豊富に有ることは事前に解っていたのですが、、今回行く前に復習しておこうと思いつつもバタバタしてつい後手に回していました。
改めて見て愕然とする思いです。きちんと画像に記号付きで左巻きに取り付くことが明瞭に示されています。これをきちんと見ていればあのような解せないルートミスは避けられたはずです。
2年前にかなり調べ相当の心構えで臨んだ明神主稜が、予想外にアッサリそう難しくもなくこなせてしまったからでしょうか、明神東稜を舐めていたようです。
それに加え、バリルートの稜線では多分今迄で1番厳しい天候条件も重なり、焦りや落ち着きの無さからの判断のミスと技術のミスが重なったようです。
《なぜ、助かったのか》
◎落下時に頭を強打せずに済んだ
◎背中から落下したためザックがクッションとなった
◎藪に落下したためクッションとなった
◎斜面の傾斜が急となる手前で止まった
◎動けないような骨折や出血をせず、稜線復帰やビバーク設営の作業が出来た
◎AU携帯の電波が繋がった
•十分な携帯バッテリー、サブ携帯の携行
•余裕のある水や食料、防寒具の携行
上記のうちどれか1つでも欠けていたら、現在こうして生きて帰ることが出来なかったのではないかとも思います。
特に「頭を強打しなかったこと」は今写真から振り返っても不思議でしか無いのですが、もしかしたらザックの天フタに収納したロープがちょうどヘッドレストのような位置役割となったのかもしれません。最初の河童橋での写真(ロープは同じ収納位置)を見るとそのような推測も可能性有ります。
また「AU携帯の電波が入った」ことも重要です。以前はこの山域でこの天候では「圏外」が当たり前でした。後に病院に尋問に来られた警察の方によると「少し前に蝶ヶ岳にAUの中継所が出来たのが役立ったのではないか」とのことでした。
《滑落による怪我の状況》
•右膝内側側副靭帯の断絶
•右膝蓋骨亜脱臼
•右大腿骨損傷
(靭帯断絶部の内側;骨折に近いとのこと)
•右脚及び左腕の裂傷(計10針縫合)
•その他 打撲 切傷 (多発性外傷)
(腕、脚、腰、肩 側頭部 他)
(追記)
右膝の前十字靱帯も少し伸び、右肩の鎖板も損傷していたようです。
正直なところ、この様な落下・滑落をしたのに対してこの程度の怪我で済んだことは奇跡のようで不思議でなりません。多くの幸運が重なったのではないかと感謝しております。
ただ、落下した岩壁写真を編集しているとどうしても実際の怪我の"軽さ"との不釣り合いは理解に苦しみます。落ちる直前に目指していた方向の景色やクラックや藪の位置関係から、落下元の地点を写真の◯印付近と推測したのですが、実はもう少し低めの位置からの落下であったのかもしれません。
(追記)
後の日記にて滑落の実際を振り返り改めて分析しています。
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-171231
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-171285
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-171863
《今後のこと》
まずは治療に集中しその後のリハビリを経て社会復帰と普通の生活に戻ることに励み、バイクが乗れるほどに回復したら沢度に預けたバイクの回収と借りている松葉杖の返却を兼ねてお世話になった警察救助隊、医療機関には改めて挨拶に回りたいと思います。
登山については、救助隊の方にも叱責され諭されたように「ソロでのバリエーション」はもう止めようとの想いが強いです。それよりも怖くてもう行けないかもしれません。もし未経験で新たなバリエーションルートを計画するとしても、岩稜技術ではなくルートファインディング中心の、例えば「横尾本谷からの北穂池」のようなプランに留めるでしょう。
ただ、惚れ込んで4年連続で全て別ルートで行った北鎌尾根だけはいつか再訪はしてみたいとの想いは未だ有るのですが。
《残置ザックについて》
ヘリにザックは積めずに捨てて行くのが基本である事は知っておりましたし、救難活動の時間やスペース効率、航空機の積載重量効率の視点からも当然のことです。道具はまた買えば手に入るだけのことですし。
但し、山にこのような残置物を残すことは大変心苦しくいつかは回収しに行ければ、とは思うのですが、かといって傷が癒えた後であってもこのルートを再度行くような気力は湧かないでしょうし、更には残置物を見込んで軽装で行く訳には行かずフル装備で行くとなると帰りに2倍の荷物を背負って降ろすような技術も体力も有りません。
結果的に長年放置されたままとなりそうで大変申し訳ない限りなのですが、せめて残置ザックの中身で残雪期や天候不良時等、緊急応急の際に役に立つモノが有ればと思い、記憶の範囲で主なものを以下に記しておきます。
基本的にジップロックや防水袋、レジ袋に入れてありますが、ヘリの到着予定が早まったために袋に入れず畳まず放り込んだモノもあります。ザックカバーは滑落時にゴムが切れて破けてしまったため掛けてありません。ラクダのコルの一段高い側のテン場に有ります。
《残置物》ザック: 52L モスグリーン
•ガスカートリッジ 小 残 8割
•ヤスリ(フリット)式ライター 残少
•シングルバーナー 点火装置無し
•ドライフード、行動食 各3食分程
•着替用 肌着、靴下
•ネオプレン マリンブーツ(サンダル兼保温)
•三角巾、滅菌ガーゼ、メンタム、正露丸、傷バンド等(:ザックカバーポケット)
•ダウンシェラフ、エアマット、銀シート薄
•8mm×30mロープ
•ハーネス、カラビナ、スリング類、エイト環
•ツェルト小、ポンチョツェルト
•ストック、等
(後日追記)
救助から40日後、お世話になった警察や航空隊、病院を御礼巡りした際に、上高地・明神にも脚を伸ばし、ひょうたん池ルートの入り口に「ラクダのコルにバックを残置した旨」の案内板を取り付けて来ました。
御礼巡りのレコ:
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1597807.html
《最後に》
他人様に伝える、客観的に振り返る、というよりも自分自身に向き合い問い質すことをより意識しながら記してきたようです。結果的に冗長で重複も多く読み苦しい文章になってしまいました、大変申し訳ありません。
今回、生命を助けて頂いたことを機に、今後の登山ライフだけでなく、自らの暮らし方や生き方も見つめ直すことに繋げていきたいと思います。
ご覧頂き有難うございました。 hatsu
hatsuさん
貴重な記録をありがとうござます。
私は若かりし頃、なぜか松濤岩のてっぺんから北穂沢に落ちたことがあります。
虚空を落下し、頭から岩にぶつかり火花が出て死の合図かと思いましたが、身代わりにヘッドランプが粉々になった結果でした。
その時のけが原因で今年の4月4日に距骨下関節固定化手術を受け、3か月間ギブスの生活でした。
3週間前からリハビリハイキングです。
十分な養生とリハビリを経てまた北鎌を歩いてください。
私は北穂沢のてっぺんから5日間かけて西糸屋さんまで降りて、そのあとは救急車でしたが、涸沢で出会った早稲田大学山岳部のOBの方が西糸屋さんまでサポートして頂きました。
屏風の下あたりを歩いている時、その方から「これで山を止めちゃいけないよ。」と言われたことを鮮明に覚えています。
hatsuさん、初めまして。
当方のレコへコメント頂きましたメンバーのひとり、bicycleと申します。
確かに天狗のコルに残置されたザックがあり、「?」と思っておりましたが、まさか遭難されていたとは…。
僕も単独で冬山やバリエーションをやることがあるので、ご感想に記載されていた心境や判断のこと、なんとなく分かります。
天候、疲労、油断、自信など、あらゆる条件が重なると、あとから自分でも納得が出来ない判断をしてしまうことがあります。
不幸中の幸いという言い方になりますが、本当に命が助かって良かった!
あそこから落ちて助かるなんて、本当に幸運だとも思えます。
今は、いろいろと歯がゆい思いもあろうかと思いますが、まずはしっかりと安静にされ、身体をしっかりと快復させてくださいませ。
こういう経験をすると、変な言い方ですが今後の山が、以前よりずっと楽しくなると思います。
僕にも苦い経験がいくつかあるので、ついコメントさせて頂きました。
復活、お待ちしてますよ(^_^)
コメント、励ましのお言葉 有難うございます。
松濤岩からの転落の投稿「冬の花火」も拝見しました。…凄まじいですね。
https://www.yamareco.com/modules/diary/93584-detail-84446
それに比べると私の滑落や救出の経緯など比べようも有りません。
(決して軽いという意味合いではなく救助頂いたことや事故の責任については重く感じておりますが)
お陰様でこの程度でめげてどうする、と頑張る意欲にも繋がります。本当に有難うございます。
また、最近の投稿も拝見し、美味しそうな秩父のうどんと田楽を是非食べに行きたい、とリハビリの1つの目標になりました。これにも感謝です。
コメント、ご指導と励ましの言葉、有難うございます。感想の追記にてそちらのレコを引用させて頂きましたが、お陰様で自分のミスを振り返り向き合うことに大きく役立っています。
そもそも登山にハマったのは山と自分に向き合えるソロ行、特にルーファイに魅力を感じそれに拘ったのですが、色々なルートをこなすうちにいつしか岩稜帯やボルダリングにハマり、より技術を要する登山にシフトして来た中で判断や制御といったメンタル面の弱さ至らなさが今回の事故で明らかになったように思います。
ソロという部分への拘りは多分捨てないと思いますが、バリエーションについての向き合い方は変えていこう、原点に帰ろうとは思います。
一方で、山で出逢った気の置けない仲間とのゆったりまったり山行を楽しむような使い分けもしておりましたので今後は後者の方によりシフトしていくのかもしれません。
この機会に自分にとっての山を見つめ直しますが、辞めずに逃げずに新たなカタチと気持にてリスタートすべく、まずは養生します。
有難うございました。
hatsu さん、今日は。私の日記「山の遭難費用は?」にコメントいただきありがとうございます。ケガも順調に回復に向かっておりますか。
実は、昨日 hatsu さんの滑落遭難詳細記事を読んで、「日記」をしたためたようなわけで・・・。
hatsu さんの滑落遭難詳細記事を読んで、事故状況から救助されるまでの示唆を含んだ経過 ”滑落遭難詳細顛末記”として熟読。読んで、この事故記録は「ヤマレコ」、にとどまらず「山渓」や「岳人」などの山岳誌に取り上げて全国の岳人に読んでもらいたいものだと思った次第。
客観的、論理的に自己の模様とその後の顛末を客観的、論理的に描写分析。あれ?と思ってプロフィールをみますと「技術屋さん」納得。
身体への配慮のほど、有難うございます。
滑落(受傷)から3週間が経ち、新しい膝装具が完成しお試しの松葉杖時差通勤を始める迄になりました。患部の腫れむくみが引けば、来週あたりから膝関節の機能回復リハビリも始められるかもしれません。
また、私のレコをきっかけとしての問題提起とのこと、有難い限りです。少しでも多くの方に反面教師としての私の事故のことや救助のことを見知って頂くことから、登山での危険や安全について気に留め、考え、議論することに繋がるなら、事故の当事者として抱える様々な想いが報われるような気持ちになります。
とにかくご無事で何よりでした。
お疲れ様です。
まずはゆっくり養生してくださいね。
お大事にしてください。
有難うございます。
日記、レコ 拝見しました。
30年近く前に初めて買い乗り潰したのがジムニーでしたので親しみを感じます。
馬返しからの富士、良いですね。
学生時代、旅サークルで「0mからの富士」という駿河湾の波打ち際で裸足を海に浸してからスタートする恒例企画が有りました。
リハビリ登山が出来るようになったら、上ばかりを目指す山でなく樹林帯低山の山行を見直したいと思っています。
南アの、ジブリ映画のような苔むして鬱蒼とした森の奥深さに包まれる感じが好きです。
Hatsuさん
はじめまして。mochi といいます。足の具合はいかがですか。リハビリのレコも拝見しましたので徐々に山に登られているのですね。「山と渓谷2月号」に見開きで同内容の特集がありました。読んでいて、ヤマレコを思いだしました。hatsuさんの内容では?と。貴重なレコであり、記憶に残るレコと思っております。今後も記憶に残し、登山をしていきたいと思っています。危機管理の重要性。
コメント有難うございます。
雑誌は本日私も入手しました。日記にて報告もした次第です。
レコ改めて拝見しました。事故後の治療リハビリの最中心身共に凹んだ時期に皆さんのレコを漁っていた頃、印象に残った北穂の小屋での一期一会での出会いのレコはmochiiさんのだったのですね。自分も北穂の小屋泊はマイベスト(次点?の晴嵐荘と甲乙付けがたいかも)でして、いつかまた槍穂縦走できるようになったら、北穂はテラスでラーメンだけでなく泊まりたいな、と復帰後の目標の一つにしています。
丹沢がホームとのこと、当面は丹沢で鍛え直したいとリハビリ登山に通おうかと思っておりますのでレコに上げて頂けたらその時々の状況等を参考にしたいと思います。もっとも大変速足のようですのでタイムは見習えませんが。
プロフ写真の灯台はシンゴジラが再上陸した方面でしょうか。ご自宅近辺は映画におかれましてはご無事でしたか。
こんな事
あったんですか。
読んで胸に刻みます。
読んで頂きまして有難うございます。
日記、homepage 拝見しました。
私の地元近隣のようですね、何だか親しみを抱きました^_^
こんにちは、hatsuさん。 大変なご経験をされましたね。 hatsuさんのご経験に比べれば、私の滑落は、まだ良い方だったと、改めて思いました。 これからも、お互いに、安全に楽しい登山が続けられるといいですね。 とても、勉強になりました。 ありがとうございます。
コメント有難うございます、お互い大変な経験をしましたね。
…比較してどうこう言うものでは無いかとは思いますが、、そちらのビバーク状況の方がより過酷で厳しく、気持の強さが課せられ、また救助に至った背景には冷静な判断と対処、事前の備え、幾つかの幸運、が重なった故のことと思いました。良くぞ生きて戻られましたね。
yasxyyas さんの前/後編にわたる詳細な遭難レコ(以下)の内容からは多くのことを学び考えさせられると思います、是非多くの登山者に見て欲しいと思った次第です。hatsu
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1953223.html
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1957672.html
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