昭和38年夏ワンダーフォーゲル部の仲間と初めて北アルプスに遠征しました。当時は車はなくバスや電車、汽車で一晩かけて折立にやって来ました。テントやリュックは全てビニロン製で重く一人25kgを背負っての縦走です。やっとの思いで太郎平小屋に登り上げる。
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4/21 9:28
昭和38年夏ワンダーフォーゲル部の仲間と初めて北アルプスに遠征しました。当時は車はなくバスや電車、汽車で一晩かけて折立にやって来ました。テントやリュックは全てビニロン製で重く一人25kgを背負っての縦走です。やっとの思いで太郎平小屋に登り上げる。
薬師岳が見える太郎平小屋近くのキャンプ場に幕営する。
[幕営や地形図見詰む夜の帳]
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4/21 9:27
薬師岳が見える太郎平小屋近くのキャンプ場に幕営する。
[幕営や地形図見詰む夜の帳]
太郎平小屋近くで先ずは記念撮影、手ぬぐいと麦わら帽子が目立つ
[懐かしや麦藁帽の登山かな]
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4/21 9:27
太郎平小屋近くで先ずは記念撮影、手ぬぐいと麦わら帽子が目立つ
[懐かしや麦藁帽の登山かな]
こちらはその年の1月に薬師岳で13名が遭難した愛知大学山岳部の荷揚げした18リットル缶の燃料群がそのまままだありました。
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4/21 9:28
こちらはその年の1月に薬師岳で13名が遭難した愛知大学山岳部の荷揚げした18リットル缶の燃料群がそのまままだありました。
5枚一組のNO1
太郎兵平で左から見回す。
その年愛知大13名が遭難した雄大な薬師岳
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4/21 9:28
5枚一組のNO1
太郎兵平で左から見回す。
その年愛知大13名が遭難した雄大な薬師岳
5枚一組のNO2
遠くに水晶岳、祖父岳、その前に雲の平
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4/21 9:29
5枚一組のNO2
遠くに水晶岳、祖父岳、その前に雲の平
5枚一組のNO3
左から祖父岳、その前に雲の平、奥に三俣蓮華岳、丸山、双六岳、黒部五郎岳
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4/21 9:29
5枚一組のNO3
左から祖父岳、その前に雲の平、奥に三俣蓮華岳、丸山、双六岳、黒部五郎岳
5枚一組のNO4
黒部五郎岳、北ノ俣岳
手前はコバイケイソウ群の太郎兵衛平
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4/21 9:29
5枚一組のNO4
黒部五郎岳、北ノ俣岳
手前はコバイケイソウ群の太郎兵衛平
5枚一組のNO5
太郎山
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4/21 9:30
5枚一組のNO5
太郎山
2日目、雲ノ平に向かいます。薬師沢の渡渉いくつもわたります
[渡河位置の安全示すケルンかな]
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4/21 9:30
2日目、雲ノ平に向かいます。薬師沢の渡渉いくつもわたります
[渡河位置の安全示すケルンかな]
仲間のワンダーフォーゲル部員、白い手ぬぐいに麦わら帽子、横長のキスリング、当時全盛期でした。
[カニ族と言はれし往時キスリング]
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4/22 14:37
仲間のワンダーフォーゲル部員、白い手ぬぐいに麦わら帽子、横長のキスリング、当時全盛期でした。
[カニ族と言はれし往時キスリング]
薬師沢出会いに到着。ここで黒部川と交わる。
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4/21 9:31
薬師沢出会いに到着。ここで黒部川と交わる。
薬師沢出会いでは沢山の登山者が休憩してます。川向うには薬師沢小屋が見える。
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4/21 9:31
薬師沢出会いでは沢山の登山者が休憩してます。川向うには薬師沢小屋が見える。
我々もここで初めて全員で記念撮影をする。バックに薬師沢小屋が
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4/21 9:31
我々もここで初めて全員で記念撮影をする。バックに薬師沢小屋が
やっとの思いで雲の平まで登り上げましたが急に雨が降り出す。薬師岳も霞んで見える。
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4/21 9:32
やっとの思いで雲の平まで登り上げましたが急に雨が降り出す。薬師岳も霞んで見える。
この雨の中当時はやった黄色のポンチョのを着て記念撮影。バックは祖父岳
[ポンチョ着る流行り取り入れ登山かな]
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4/21 9:32
この雨の中当時はやった黄色のポンチョのを着て記念撮影。バックは祖父岳
[ポンチョ着る流行り取り入れ登山かな]
黒部五郎岳が見える雲の平野営場でテントを設営、当時も賑わっていた。翌朝のキジうちは真っ暗なうちにハイマツの陰で済ませる。「雉と花山の隠語の楽しけれ]
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4/21 9:34
黒部五郎岳が見える雲の平野営場でテントを設営、当時も賑わっていた。翌朝のキジうちは真っ暗なうちにハイマツの陰で済ませる。「雉と花山の隠語の楽しけれ]
第3日目が始まる。計画では三俣蓮華岳を経由して双六平まで行く予定。まずはテントをたたみ、キスリングにパックする。
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4/21 9:33
第3日目が始まる。計画では三俣蓮華岳を経由して双六平まで行く予定。まずはテントをたたみ、キスリングにパックする。
黒部五郎岳をバックに雲の平で5人で記念撮影。元気そうですがもう3日目でバテバテでした。
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4/21 9:34
黒部五郎岳をバックに雲の平で5人で記念撮影。元気そうですがもう3日目でバテバテでした。
なかなか三俣蓮華岳が遠い、ここで薬師岳を見ながら休憩する。
16
4/21 9:34
なかなか三俣蓮華岳が遠い、ここで薬師岳を見ながら休憩する。
2枚一組NO1
遠く槍ケ岳、穂高連峰が見え出す、右は三俣蓮華岳
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4/21 9:47
2枚一組NO1
遠く槍ケ岳、穂高連峰が見え出す、右は三俣蓮華岳
2枚一組NO2
カール跡が素晴らしい三俣蓮華岳、こちら側から見ると美しいお姿、右後ろに笠ヶ岳も
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4/21 9:35
2枚一組NO2
カール跡が素晴らしい三俣蓮華岳、こちら側から見ると美しいお姿、右後ろに笠ヶ岳も
もう直ぐ三俣蓮華岳ですがまたも休憩です。なかなか歩がが進まない。[弛しくもそこに山あり元気装ふ]
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4/21 9:34
もう直ぐ三俣蓮華岳ですがまたも休憩です。なかなか歩がが進まない。[弛しくもそこに山あり元気装ふ]
同じく薬師岳をバックにiiyuさんも休憩です。25kgのキスリングは肩に食い込みます
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4/21 9:34
同じく薬師岳をバックにiiyuさんも休憩です。25kgのキスリングは肩に食い込みます
4枚一組NO1
三俣蓮華岳到着、左周りで見渡す。
雄大な黒部五郎岳
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4/21 9:37
4枚一組NO1
三俣蓮華岳到着、左周りで見渡す。
雄大な黒部五郎岳
4枚一組NO2
北ノ俣岳、第2日目出発方向にある太郎山
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4/22 16:17
4枚一組NO2
北ノ俣岳、第2日目出発方向にある太郎山
4枚一組NO3
北アルプス最大の薬師岳、手前に今日出発した雲の平
21
4/21 9:37
4枚一組NO3
北アルプス最大の薬師岳、手前に今日出発した雲の平
4枚一組NO4
祖父岳、水晶岳、鷲羽岳
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4/21 9:37
4枚一組NO4
祖父岳、水晶岳、鷲羽岳
樅沢岳、双六岳方向をバックに記念撮影、疲れ切った顔が並ぶ
41
4/21 9:38
樅沢岳、双六岳方向をバックに記念撮影、疲れ切った顔が並ぶ
さあ、最後の力を振り絞り双六平を目指します。
33
4/21 9:38
さあ、最後の力を振り絞り双六平を目指します。
雄大な双六岳
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4/21 9:43
雄大な双六岳
双六平に到着、翌朝出発前にテント前で最後の記念撮影。バックはこれから下りる方向の抜戸岳
44
4/21 9:44
双六平に到着、翌朝出発前にテント前で最後の記念撮影。バックはこれから下りる方向の抜戸岳
最後の小池新道秩父沢出会いでパチリ。
34
4/21 9:44
最後の小池新道秩父沢出会いでパチリ。
新穂高温泉からバスを乗り継ぎ富山駅に無事到着しました。
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4/21 9:44
新穂高温泉からバスを乗り継ぎ富山駅に無事到着しました。
ここからは51年前の苗場山登山です。苗場スキー場から歩いて秘境の赤湯温泉へ。この時代は河原に掘っ建て屋根があるだけの露天風呂。宿は親父一人の山小屋だけです
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4/21 7:48
ここからは51年前の苗場山登山です。苗場スキー場から歩いて秘境の赤湯温泉へ。この時代は河原に掘っ建て屋根があるだけの露天風呂。宿は親父一人の山小屋だけです
翌朝、渡り板のないつり橋を針金だけで渡る。[恐れなく鋼線橋を渡る冬]
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4/21 7:49
翌朝、渡り板のないつり橋を針金だけで渡る。[恐れなく鋼線橋を渡る冬]
この時も不安定なキスリングを背負って意気揚々に登る。
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4/21 7:50
この時も不安定なキスリングを背負って意気揚々に登る。
大雪庇群に行く手を阻まれて敢え無く撤退となる。名残惜しいが記念撮影をして引き上げる。
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4/21 7:46
大雪庇群に行く手を阻まれて敢え無く撤退となる。名残惜しいが記念撮影をして引き上げる。
足元に注意してみてください。物凄く重い鋼鉄製のアイゼンを履いている。
46
4/21 7:54
足元に注意してみてください。物凄く重い鋼鉄製のアイゼンを履いている。
まだ持っていた当時の八っ本爪のアイゼン。
能書きを見たらクロムモリブデン鋼鉄製で片足400gありました。[アイゼンはクロモリ鋼と山信仰]
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4/22 8:01
まだ持っていた当時の八っ本爪のアイゼン。
能書きを見たらクロムモリブデン鋼鉄製で片足400gありました。[アイゼンはクロモリ鋼と山信仰]
その年の秋に苗場山の奥の鳥兜山に登る。当時ランドセル型のリュックも流行りました。
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4/21 8:45
その年の秋に苗場山の奥の鳥兜山に登る。当時ランドセル型のリュックも流行りました。
同じ51年前の5月の連休の尾瀬長蔵小屋近くで、バックは燧ケ岳
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4/21 7:55
同じ51年前の5月の連休の尾瀬長蔵小屋近くで、バックは燧ケ岳
山仲間と二人で尾瀬長蔵小屋近くで記念撮影、バックは燧ケ岳
31
4/21 7:55
山仲間と二人で尾瀬長蔵小屋近くで記念撮影、バックは燧ケ岳
尾瀬ヶ原で出会った登山者達とパチリ。当時のハイカラさん達です。[尾瀬ヶ原出逢う山友五月かな]
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4/21 7:55
尾瀬ヶ原で出会った登山者達とパチリ。当時のハイカラさん達です。[尾瀬ヶ原出逢う山友五月かな]
51年前の同じ年の7月の富士山登山です。この長蛇の列を見てください。
当時は第1次登山ブームで高度成長真っただ中で大賑わいでした。
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4/21 8:43
51年前の同じ年の7月の富士山登山です。この長蛇の列を見てください。
当時は第1次登山ブームで高度成長真っただ中で大賑わいでした。
当時は5合目までスバルラインが出来た影響もあり物凄い混雑ぶりでした。当然夜行日帰り登山でした。
[牧羊に見紛ふ人出富士の山]
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4/21 8:44
当時は5合目までスバルラインが出来た影響もあり物凄い混雑ぶりでした。当然夜行日帰り登山でした。
[牧羊に見紛ふ人出富士の山]
それ故大多数の方は9合目5尺あたりで力尽きて山頂まではごくわずかな人しか登れなかった。
31
4/21 8:42
それ故大多数の方は9合目5尺あたりで力尽きて山頂まではごくわずかな人しか登れなかった。
その中でiiyuさんは日頃から鍛えていたので軽く山頂をゲットする[雲海を一人楽しむ夏の富士]
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4/21 8:42
その中でiiyuさんは日頃から鍛えていたので軽く山頂をゲットする[雲海を一人楽しむ夏の富士]
山頂のお馴染みの気象観測ドームが出来てました。
25
4/21 8:44
山頂のお馴染みの気象観測ドームが出来てました。
ここで同僚とパチリと記念撮影をする。手に持っているのはスマホではありません。登山日を書いた厚紙ですが日付が読めない
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4/21 8:42
ここで同僚とパチリと記念撮影をする。手に持っているのはスマホではありません。登山日を書いた厚紙ですが日付が読めない
お馴染み親友とも肩を組んで記念撮影
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4/21 8:42
お馴染み親友とも肩を組んで記念撮影
一人でも格好つけてパチリ。帰りは砂走を一気に駆け下りました。[若き日や下山も速し砂走り]
今日もご覧頂き有難う御座いました。
61
4/21 8:42
一人でも格好つけてパチリ。帰りは砂走を一気に駆け下りました。[若き日や下山も速し砂走り]
今日もご覧頂き有難う御座いました。
いい湯さん、こんにちは〜
モノクロ写真の秘蔵写真だね。
時々チラっと紹介されるレコがあったんで、当時の写真はいっぱい保存されてると思ってましたよ。
素晴らしい! 若かりしいい湯さんとその仲間たちだね。
カラー写真でも時代を感じるね。
一緒に登ったワンゲル部の仲間は、今でも元気なんでしょうか?
1963年ってさ、寅はその頃中学生だったよ。
美術部で油絵や版画をやってました。(高校でも美術部とブラスバンド)
早い話が運動が苦手だったんよ。
寅さん
こんばんは
コメントありがとうございます。
ついに日本山学会等がしばらくの間、登山を慎んでくださいの声明を出してきました。もし怪我等をしたら病院に迷惑をかけるしコロナの広がりも考えられるのでと。
いよいよどこも出かけられませんね。
畑仕事に精を出しましょう。
昔を振り返るときりがありませんね。
寅さんはいい趣味を沢山お持ちで羨ましいです。
私は山と水泳と家庭菜園と散歩ぐらいです。
これからが大変ですね。
頑張りましょうね。
貴重な写真の数々 素晴らしいですね〜 昔の太郎平小屋や師沢小屋など
景色は変わっていませんが 小屋は大きく きれいになっているんですね(^^♪ 薬師沢の橋は去年渡りましたが この時は橋が無くて渡渉してるんですね・・・
大雨の後などは 渡れなかったんじゃないでしょうか?
思い荷物を背負っての縦走 大変だったでしょうが、楽しい思い出ですね。
山に行けない今 また時間がある時にでも是非 他の山行も載せて頂ければと思います😊
楽しみにしています
nirinsou88 さん
こんばんは
山に行けなくなって残念ですね。
これも長期化すると困ります。
足の筋肉が衰えると後期高齢者の私は直ぐに要介護者へとなってしまいます。
それ故川べりの散歩は最低一時間強めに行っております。
古い写真は沢山ありますので要望に応えて少しづつレコに上げようと思います。
コメント有難う御座います。
iiyuさんこんばんは。
コロナ騒ぎはもう止まりませんね。どうなることか。
古い写真が日の目を見るときが来ましたね。たくさん日に当ててください。
楽しみにしています。
yamayuri さん
こんばんは
思っていたよりコロナ騒ぎが大きくなって困りましたね。
日本山岳会まで登山を慎んでくださいと来ました。
老人の楽しみがまた一つなくなってしまいましたね。
やむなく古い写真でレコをあげます。
時間つぶしにはなりますね。
コメント有難う御座います。
こんばんは。
初めてのコメント失礼します。
当時の登山はちょっと想像がつきませんが、なにしろカッコいいですね。
知らないで写真だけ見たら昭和の映画の1シーンかと間違えそうです。
特に48の写真が痺れます。
yasponyo さん
コメントありがとうございます。
沢山お褒め頂いたのでまた続きをレコすることにいたします。
若干時間はかかると思いますが頑張ってみます。
期待に沿えると嬉しいですが。
あのデポ品には涙腺が緩みました。
夏まで残っていたのですね。
わたくしが山を始めたのは中学生からですので年齢は一回り以上後輩になりますが、高校生の時はまさにあの格好、揃いの山シャツにキスリングに麦わら帽子にタオル姿でした。
素晴らしい。
そして登山道が傷んでいないですね。
次も待っています。
borav64m さん
こんばんは
コメントありがとうございます。
このようにレコを通じて通じ合えてとても嬉しいです。
お互い共通の景色や持ち物があると共感しあえますね。
有難う御座います。
次回も頑張ります。
iiyu先輩、おはようございます〜
以前から昔の写真はちょこちょこ拝見させて頂きましたが、今回はてんこ盛りですね〜
おっさんも実家にはキスリングや木製ワカンを置いたままかも・・・
これからどんどん遡って過去レコをアップ予定ですので、最後の最後になりますが、おっさんもキスリングの写真が残ってればいいな
懐かしいレコ、ありがとうございました〜
FRESCHEZZAさん
おはようございます。
皆様の過去レコを見て重い腰をあげました。
こうして大昔を振り返ると懐かしさが蘇りました。
たまには良いですね。
私も今でもキスリングをはじめ過去に使ったリックサックもすべて持っております。
古いものを捨てられずにいる私です。
有難う御座いました。
iiyuさん こんにちは
昔の写真をきれいに保存されていて いい思い出ですね。
この時代はたしか登山ブームだったのですよね? 私の叔父がiiyuさんと同じ世代で、やはり大学のワンゲル部に所属して、いろいろや山に行ったと聞いています。
当時はテントもアイゼンも重そうでたいへんだったのでしょうね。
山の大先輩の貴重な写真、興味深くレコを拝見させていただきました
今は早く山に行ける日が来るといいですね
kazuto645 さん
コメントありがとうございます。
大変古い話で恐縮です。
こんな重いアイゼンを履いてあちこちを闊歩していた時代が懐かしいです。
今では軽い簡易アイゼン10本爪にしてます。
それにしてもkazuto645 さんとの唐松岳の丸山のケルンでの出会いは
今でもとっても懐かしいです。
写真の専門家とはつゆ知らず写真をお願いし挙句にオーバーズボンを
痛めさせてしまった記憶は鮮明です。
これも今ではとっても懐かしく良い思い出になりました。
また来春に唐松が登れるといいですね。
iiyuさん今晩は。
過去レコ拝見させていただきました。有難うございます。
昭和の終わりの登山ブームを思い出しました。
横長のキスリング、往時のカニ族の姿が目に浮かびます。
夜行列車で出張のおり、カニ族ご一行様と出会いちょっと困った事もありました。
(駅の改札口を通過する時、キスリングバッグが引っ掛かり通れず横歩きした事からカニ歩き、つまりカニ族となったとか?)
私もコロナウイルスの為、外出できず困っております。
そこでiiyuさんの過去レコで俳句を詠まさせてください。
幕営や地形図見詰む夜の帳
懐かしや麦藁帽の登山かな
渡河位置の安全示すケルンかな
カニ族と言はれし往時キスリング
ポンチョ着る流行り取り入れ登山かな
雉と花山の隠語の楽しけれ
弛しくもそこに山あり元気装ふ
恐れなく鋼線橋を渡る冬
アイゼンはクロモリ鋼と山信仰
尾瀬ヶ原出逢う山友五月かな
牧羊に見紛ふ人出富士の山
雲海を一人楽しむ夏の富士
若き日や下山も速し砂走り
それではまたのヤマレコ楽しみお待ちしております。
yasuokambai さん
有難う御座いました。
おかげでiiyuの過去レコも一層光り出しました。
こんな古い時代がありましたね。
楽しい時代でもありました。
コロナとは無縁の世界ですね。
世の中が変わりました。
またよろしくお願いします。
次回は5月にに乗せる予定でおります。
iiyu師匠、おはようございます。
お山がどんどん遠のいてしまって淋しい限りですが...でもでもきっと、
今の辛抱が報われる日がそう遠くないことを願うばかりですね
それにしても師匠は昔の思い出を本当に綺麗に残されていて
師匠の若かりし頃の山旅に見入ってしまいます♡
yasuokambaiさんの句もとってもmatchしていますね♡
しかし富士登山の混雑ぶりには目を疑いました...
chanel さん
おはようございます。
お山に行けなくて体がなまってしまいます。
我々みたいな後期高齢者は2週間動かないと筋肉が減ってしまい
動けなくなります。
毎日散歩や家庭菜園で少し動かしていますがやっぱり負荷が足りません。
やむを得ず大師匠を誘って裏山に登ってきましたが
帰りは足が揚らず石ころに蹴まずき前に転びました。
幸い何ともなかったですが、やっぱり毎週山に登らないと筋力が衰えますね。
若い時の写真を見ると自分でもよくやったなあと思います。
北アルプスでは重いビニロン製のテントを担ぎ一人25kgのキスリングを背負い3000m級の山々を4日で40km歩いたのですから。
今では夢のお話になってしまいました。
iiyuさん こんばんは! 遅コメです
大変ご無沙汰しております 素敵な過去レコですね
私が生まれた年の北アルプスの景色に興味深々
それと長蔵小屋裏手からの燧ケ岳の写真
お二人の隙間に見える白樺は、大きくなっていますが
森の木々の高さは変わらないのが何故か不思議
若き日のiiyuさんの凛々しい姿を見せて頂き楽しいです
最近の私は月一回程度は山歩きしていますが、レコはおさぼり中・・・
こんな時勢なので、後ろめたさがありましたが
この時期に歩く、いつもの場所には昨日行ってきました
danby63 さん
コメントありがとうございます。
えらいことになりましたね。
こんな時代が来るとは夢にも思いませんでした。
こうして古い昔を眺めるとつくづく昔は良かったですね。
尾瀬に詳しいdanby63 さんにはかないません。
長蔵小屋の裏手と言い当てたのはさすがです。
昨日の尾瀬は結構賑わっていた写真がありました。
しかしアヤメ平は静かでしたでしょう。
我々も近くの裏山にトレーニングに一昨日行ってきました。
静かでよかったです。
コロナ騒ぎがうそのようでした。
だいぶ遅くになってからお邪魔して申し訳ありません。
昭和38年、僕はまだ5歳。山岳遭難史上に残る大遭難があったことなど知るよしもなかったころです。
山に登るようになってからこの遭難のことを知り、記録も見ました。確か、10月に最後のご遺体が黒部川沿いの斜面で見つかったのではなかったでしょうか。ということは、この記録の時にはまだ発見されていなかったので、お父さんが探していたのですね。
僕も数年前、太郎平小屋から雲ノ平、鷲羽岳、三俣蓮華、黒部五郎、北ノ俣を周回、翌年立山から薬師岳を経て太郎平と縦走しましたが、写真を拝見して昔の様子が分かりました。貴重な記録、ありがとうございました。
todora5502 さん
コメントありがとうございます。
えらいことになりました。
このコロナ騒ぎは私が78年間生きた中でとっても大きな事件です。
記憶では
1973年の第一次石油ショック
1990年バブル大崩壊、株価大暴落
1995年関西淡路大震災
2008年リーマンショック
2011年東日本大震災
に次ぐ6番目の大事件と思ってます。
世の中はこのような大事件が時々起きますね。
登山史上でも13人が薬師岳で遭難したで事件は大きいですね。
この事件を知っているとはさすがです。
これからもよろしくお願いします。
素敵な写真をありがとうございます。
キスリング処分しようかなと思ってましたが、止めました。青春時代を共に登った大事なものですもんね。アイゼン、私も8本爪でしたので懐かしかった。
毎日朝夕、後立山を見られる所に住んでいるだけ、幸せかな? でもその分、山の招きを断っている辛さも倍増です。
早く行けるようになるといいですね。
takanebiranji さん
こちらこそコメント頂き有難う御座います。
良い所に住んでおりますね。
我々はもうちょっと低い山々に囲まれて過ごしております。
山岳会のお達しはつらいですね。
仕方がないので今日は里山まで自転車で行き
その後軽くトレーニングをして今帰ったところです。
我々のように後期高齢者は毎日何か体に負荷を与えて動かさないと直ぐに動けなくなってしまいます。
それ故、毎日散歩は1時間以上行い、家庭菜園や里山歩きを週数回行い頑張ってます。
ほんとに早くお山に行けることを願ってます。
これからもよろしくお願いします。
57年前の写真拝見して感慨深いです。山のこと何も知らずにこの年独り山歩きを始めました。臙脂色の長袖シャツ、黒のニッカ風ズボンにアノラック。山小屋はどこも平屋の掘立小屋でしたね。テント、キスリング、かんじき懐かしいです。靴は折り返しがないからビブラムですかね。そうそう11月にはケネディ元大統領が暗殺された。ちょうど上高地からの帰り松本電鉄の車内で隣席の人の新聞に衝撃受けました。写真を見ていると走馬灯のように当時のいろいろな風景を思い出します。今も現役で歩いています。
jh1nsr さん
コメントありがとうございます。
まさにこの時代に山に入られたのですね。
ビムラム底の登山靴を何度か張り替えて使ってました。
懐かしい青春時代を共に生きたことになりますね。
更にこの2年前の世界をヤマレコに乗せました。
是非見てください。
ヤマレコのホームぺージを開き
中段にある「話題の山行記録」を押して開いて下さい。
一番下に乗ってます。
59年前の尾瀬ヶ原や燧ヶ岳を載せました。
iiyu
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