1983春合宿 雪のサロベツ原野 縦走【ワンゲル時代】
- GPS
- 48:46
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 15m
- 下り
- 9m
コースタイム
◎2/25:-新潟-秋田-青森
◎2/26:青函連絡船-函館-余市-神威岬-美国YH
◎2/27:美国YH-小樽-札幌(大雪で電車来ず)-札幌泊?
●2/28:札幌?-南下沼駅〜徒歩でサロベツ原野へ〜パンケ沼〜テン泊
●3/ 1:〜ペンケ沼〜西豊富の牛を飼っている民家にテン泊
●3/ 2:〜兜沼駅?-稚内駅外テン泊
◎3/ 3:稚内-宗谷岬-北方記念館-稚内のYHこまどりハウス
◎3/ 4:稚内-浜頓別-北見枝幸-雄武-興部テン泊?
◎3/ 5:興部-中湧別-佐呂間-サロマ湖畔/富武士テン泊?
◎3/ 6:富武士-佐呂間-網走刑務所-トウフツ湖?
◎3/ 7:-網走呼人-網走レークビュースキー場-網走湖畔テン泊
◎3/ 8:網走(合宿は計画通り解散)
○3/ 9:根室(灯台)-落石岬-釧路(ビジネスホテル?)
○3/10:釧路(レンタカー:タンチョウ観察センター)-池田-帯広
○3/11:帯広-新得-帯広-広尾(雪でバス遅く不安に)-庶野-えりも-岬市街-えりも岬YH
○3/12:えりも岬YH-様似-新冠(1人でバスで競走馬見学)-苫小牧-千歳空港-夜行(残金:11894円)
○3/13:-釧路-根室-夜行
○3/14:-札幌(観光:凍った初ルイベはこの時か)-函館
○3/15:青函連絡船-青森-急行白鳥-京都
天候 | 曇、晴、雪 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
船
|
写真
感想
●ワンダー(旅)フォーゲル(鳥)は、ドイツ語で旅鳥のことで、我々のクラブでは春合宿は山以外の旅が多かったです。まだ寒い春先に暖を求めて南国へ行くパーティもあれば、我々は寒い時には寒い所へと北海道を目指しました。しかも真っ白なサロベツ原野縦走がメイン。普段の山と違って、ただただ真っ白な雪原をひたすら歩くという貴重な体験でした。沼の上を歩いたのか、兜沼まで行ったのかも良く覚えてませんが。
●サロベツ原野1泊目のテントを張り終えた頃、先輩のcrybabycryさんとkilly_sohoさんがスキーで颯爽と抜いていかれビックリしました。
https://www.yamareco.com/modules/diary/194960-detail-197101
●その夜は、ふきっさらしの雪原でけっこう風が強かったと思います。布の黄色い三角テントで、頭と足を交互に密着して寝るので中央の人は寒くないんですが、端の人は紐で閉めた隙間だらけの入り口からの風でかなり寒かったようです。あまりの寒さに、近くにあったインスタントラーメンをガムテで隙間に貼ってて、翌日大笑いでした。
●サロベツ原野の中央部でテン泊(3月1日)した際のメモ日記より
牛を飼っている民家の近くにテン泊したようで、何とその民家にトイレを借りに行き、一人テレビを見ていたおばあちゃんとほっこり会話した様子が書かれてました。この家は昭和3年築とか。昔ここは馬鈴薯畑で澱粉工場をやってたとか。息子が札幌の教習所に行ってるとか。お茶を4〜5杯もごちそうになり、囲炉裏の前でぴったしカンカンを見てて、もうこのまま居たいと、テントで寝るのが嫌になってきたけど、しかたなく20時にテントに戻ったと。優しさの奥に厳しさを感じたおばあちゃん。京都へ行かれたことがあると言われ、どうだったか聞くと、「いがった」と言われたあの笑顔が印象深い、と書いてました。
●非情の稚内駅
たしか夕方頃に疲れて稚内駅に着いたと思います。最終電車が出てから、いつものように駅の隅の方で皆でエアマットを膨らませシュラフで横になりかけてました。すると駅を閉めるので出ていくようにと非情な駅員さんのお言葉。急いで撤収して、風の吹く寒空の下へ放り出された大キス軍団。駅のすぐ横の小さなスペースに何とかテントを風防にして夜をやり過ごしました。あと翌日には頑張って登った北方記念館が閉館だったりと、最北端の優しい雰囲気をイメージして来ただけに、それが次々と破られ厳しい現実を知った。と日記には書かれてました。今見ると甘えていただけにも思えますが。
●宿泊したユースホステル
・積丹半島/美国YH(現 お宿かさい)
https://4travel.jp/travelogue/11143879
(人生初YH。汚い我々と祭りのような雰囲気のギャップを感じていた。女主人の"おかあさん"は凄くできた方だった)
・稚内/YHこまどりハウス(2016年末 閉館)
(風呂・TV・ステレオ・布団・お茶漬けに心からほっこりしたとメモ)
・えりも岬YH(民宿仙庭になったが2017年廃業・解体)
https://www.youtube.com/watch?v=aOBbGOu_g50
(やる事をきっちりやる良いYH。と上からのメモ。朝日を見逃し、岬の先まで行かなかったのを後悔していたよう)
【ワンゲル時代のレコ】(宣伝)
・1986夏 横尾〜北穂〜槍1Day周回
・1984春 九州チャリ縦断780km
・1983春 雪のサロベツ原野 縦走
・1982夏 南ア台風直撃(自衛隊ヘリに救助)
・1982春 ネパール遠征(名前の由来)
(以下の下の方です)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/userinfo.php?pnum=5&act=data&req_uid=72135
コメント
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行ってましたか❓
私も2回生の春合宿で、風雪のサロベツ原野縦断しました。
北海道は、エピソードが満載です。
過去レコたくさんありすぎて、行きつ戻りつつ、WVまで追い付かないです💦
akinomさんも行かれてましたか!
広い北海道に1ヶ月いたら色々ありますよね。ホント楽しかったです。あまり覚えてませんでしたが。
過去レコ凄いですね。出るわ出るわで、週間ヤマレコ掲載おめでとうございます!
こんばんは
ゴワゴワのキスリングや青いヤッケ、グレーのニッカー等懐かしいですね。中華鍋ほどの大きなナベをザックにくくっていたのを覚えています。昔のテントは寒かったですよねぇ!
北海道はとっても若い頃、友人3人で切符、宿、行程等いっさい予約なしで気の向くまま旅しました。日数とかあまり覚えていませんが礼文島まで足を伸ばしたのは確か。
4、5年前、連れ合いが真冬に友人と車中泊で2週間ほど道内を周ってきました。計画を聞いたときは二人とも年寄りだし「凍死するよ!」って言ったんだけど生きて帰ってきました。
shinaihitoさん、こんばんは
山は変わらないけど、人工的な服やグッズ等かなり進化しましたね。テントも家と同じで密閉性よくなって。我々は大テントだったので寒い時は、真ん中と端が雲泥の差でした。
礼文島行かれたんですね。私は目の前まで行ってたのに、あの時行っとけば〜とレコ書いてて思いました。
北海道を気の向くまま旅するのは贅沢ですね。定年後はそんな旅もと思いつつ、なかなかできないような。ご主人が羨ましいです。無事生きて帰って来られて何よりでしたね笑。でも2週間も車中泊とはお若いですね。
冬の北海道でのテン泊、若いからできたようなものの、今なら冷凍庫に入りに行くような感じで怖さが先に出ますね。たぶん温泉泊になりそう。
3/5、3/6の「富富士」は「富武士」(とっぷし)です。サロマ湖のすぐそばの集落です。ホタテやカキが抜群にうまいです。
hontosiさん、ご指摘ありがとうございます。当時の手帳見ると、富武士と書かれてたので入力ミスのようです。消費者金融みたいになってしまってました。m(_ _)m
実はサロマ湖畔の記憶が引き出せてないんです。ホタテ!カキ!当時は食べてないかなぁ。優雅に北海道旅行する日がもし来たら、大人買いで食べてみたいです!
とっぷしって読むんですね。検索すると、アイヌ語で「小さいうぐひ(魚)の居る所」とか「竹が群生している」と書かれてました。
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