曽根丘陵遺跡歩き
- GPS
- --:--
- 距離
- 3.9km
- 登り
- 86m
- 下り
- 68m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
左手の怪我でめげてはいられない。軽い山歩きも問題ないことは利尻礼文で経験済み。今日は山歩きではなく予定していた山梨県立考古博物館に行くことにした。人面土器や土偶に関する展示が今週までなのでとりあえず始発の電車電車立川高尾経由で甲府駅に向かった。朝の内は雨は止んでいたが曇りの肌寒い天気で、車窓からは大菩薩嶺も滝子山方面も見えなかった。7時四十分過ぎに甲府駅に到着。博物館まで行くバスを南口三番バス停待つ。丁度通勤通学時間なので車内もも駅付近も学生で一杯だ。バス停前のTULLysでコーヒーを飲みながらバスを待つ。今日は昼間には20℃を越えると判断し半袖しか来てこなかったが肌寒い。薄いウィンドブレーカーを持ってきた河間だ羽織っていない。タクシーで早めに行って遺跡を先に回ることも考えたが利尻礼文での出費を考えると節約が勝る。左指怪我がなければ電動チャリをレンタルも考えるところ。
バスは甲府市内を抜け、笛吹川を渡り、曽根丘陵へと接近して行く。九時十分前頃博物館前で下車してまだ開館前なので先に公園内の古墳などの遺跡巡り。今回の目標はこれまで二度ほど訪問して一度も行くことができなかった上の平遺跡の方形周溝墓群を見に行くことだ。
かんかん塚、さかづき塚から丸墓山、銚子塚と歩き、そこから上の平遺跡を目指すが少し道に迷って一旦老人ホーム施設に出てしまい公園に入り直す。さらに南下すると、公園の南端に遺跡はあった。多数の周溝墓が出土し、一番端に復元された一番大きな周溝墓が復元されていた。後で博物館の学芸員に尋ねると、この南端の二つの復元周溝墓が最も大きいもので畑などの開墾で主体部は残っていないもののおそらくこの墓域の首長のような人々の墓だろうと考えられるようだ。墓域はさらにその奥の今は芝生の平地になっているところまで広がり、また復元周溝墓の南側には宮の上遺跡と呼ばれる周溝墓ぐんがあり、連続した墓域と考えて良さそうだ。見学を終えて戻り、東山南遺跡前を通過し、稲荷塚古墳、中世の塚−鍋弦塚を経由して博物館まで戻る。館内では丁度小学生の団体ツアーとかち合い、見学に手間取る。縄文王国の山梨の様々な遺跡、とりわけ人面付き土器や土偶を中心に、今日見学した方形周溝墓や古墳などに関する展示を見て小学生への解説が終了した様子なので解説者に上の平遺跡の方形周溝墓について質問すると別の専門の学芸員を呼んでくださり、しばし上の平遺跡とその周辺の弥生末から古墳前期に関する話を聞くことが出来た。同じ集団がずっと継続したかどうかはわからないが弥生の集落と墓域が、曽根丘陵とその周辺の地域に継続的に営まれ、やがて銚子塚のような大規模な前方後円墳の築造に至った。この地域は駿河への交通路と諏訪や佐久に抜ける交通路が交わる地域でそのような要衝に巨大古墳が作られたようだ。これ以降は大きな古墳の築造は限られ、笛吹川の扇状地、段丘上のより低地に集落や水田が開かれるようになったようだ。
その後企画展の心を描く縄文人展の人面付き土器やカエル、ヘビ、イノシシなどの形象の描かれた土器、の世界を堪能した。
12時過ぎのバスで甲府に戻り、駅近くのJewelryミュージアムを少しだけ見学し次の見学先の韮崎に向かう。この駅もなんどか登山基地として訪ねたことがあったが、韮崎市民俗資料館はもしかしたらはじめてか?ここは、主として韮崎市内の縄文遺跡出土品と新府城、武田勝頼関連の展示があった。ここでは、土偶か人面付き土器の顔がグランプリコンテストの二位を獲得したとのこと。また土地開発や暮らしを支えた用水路に関する展示が印象に残った。駅まで二キロ弱を歩いて戻り3時前の特急で早めに帰宅の途に着いた。
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2022-06-08 6月3日から6日 左手小指の脱
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