当時の登山道は整備も不十分。倒木群をかきわけて歩いたよ
そう語るのは、登山歴60年にも上るbandana55さん。まだ登山道も標識も今のような、十分な整備をされた状態じゃなかった1960年代。彼の残している貴重な写真と共に今回、当時のギアや行動食、ちょっとしたエピソードまで語って頂きました。登山の歴史、最後まで目がはなせません。
bandana55さんは、1960年代の主に八ヶ岳・アルプスの記録を残している。
1950年代は、アンナプルナ・エベレスト・マナスルなど8,000m峰の初登頂が続き、まさに1960年は戦後登山ブームの真っ只中。bandana55さんは4月30日~5月4日までの5日間をかけ、職場の仲間と八ヶ岳南北縦走へ向かったのです。今回は、八ヶ岳縦走を軸に、アルプス縦走などの記録も交えながら当時を振り返ります。
天気は曇り時々雨。こうもり傘をさしながらの登山になった
写真では、麦草峠・茶臼岳への標識は確認できるものの、道は十分に整備されているとは言い難い状況。そこに加えて雨という悪天候の中、今のような優れたレインウェアがあるわけでもなく、こうもり傘を差しながらの登山は相当な体力消耗をしたはず。
初日の幕営は、七ツ池。マットのかわりにダンボールで寒さを凌ぐ
性能のいいマットレスやシートがなく、米軍のシュラフの下に、ダンボールをひいて快適性・暖をとる工夫を。しかし、雪解けままならず尚且つ悪天候だったため、寒さで眠ることができなかったそう。写真には、こうもり傘も。
テン泊の食事は、アルファ米と魚の缶詰。疲労回復には生のニンニンク!
主食は米の飯盒炊飯でアルファ―米も携行し、副食は魚の缶詰が多かったです。カレーは現在のようにレトルト食品は無かったので、カレー粉・ジャガイモ・玉葱・ソーセージで炊き上げました。疲労回復の特効薬は生のニンニクを夜食べました。・・・自分で強烈な匂いに痺れます(笑)by bandana55さん