この章以降、「関東山地」の山々の地質について説明する予定ですが、まずは関東山地の概要について説明します。
注)以下 ”Ma” という単位がしばしば出てきますが、百万年前を意味する単位です。
注)以下 ”Ma” という単位がしばしば出てきますが、百万年前を意味する単位です。
1)ここでの「関東山地」の範囲
「関東山地」という用語は、地理学の本、登山ガイドブック、地図などで微妙にその範囲が異なります。
ここでは説明の都合上、以下の範囲を「関東山地」とします。
南端は、JR中央本線、中央道も通る、桂川(相模川の上流部)の谷とします。この南側は、前章で説明した「丹沢山地」になります。
北端は、埼玉県の神流川とその先の十石峠(じゅっこくとうげ)とします。
それより北の山々も、一般には関東山地の一部とされることが多いようですが(文献1)、登山界では「西上州の山」とも呼ばれますので、別章で扱います。
西側は、奥秩父山脈の西端でもある金峰山、瑞牆山(みずがきやま)とします。
なお金峰山の周辺、甲府盆地に面した部分にも登山の対象となる山がいろいろあり、関東山地の一部とされることもありますが(文献1)、これらは、「甲府盆地周辺の山々」として、別章で扱います。
東端は、関東平野との境です。ここには「八王子構造線」と呼ばれる断層があると推定されており、割と明確な境界となっています。基盤岩はこの断層より東の関東平野部では、地下千m~数千mまで大きく沈降しています(文献3)。
ここでは説明の都合上、以下の範囲を「関東山地」とします。
南端は、JR中央本線、中央道も通る、桂川(相模川の上流部)の谷とします。この南側は、前章で説明した「丹沢山地」になります。
北端は、埼玉県の神流川とその先の十石峠(じゅっこくとうげ)とします。
それより北の山々も、一般には関東山地の一部とされることが多いようですが(文献1)、登山界では「西上州の山」とも呼ばれますので、別章で扱います。
西側は、奥秩父山脈の西端でもある金峰山、瑞牆山(みずがきやま)とします。
なお金峰山の周辺、甲府盆地に面した部分にも登山の対象となる山がいろいろあり、関東山地の一部とされることもありますが(文献1)、これらは、「甲府盆地周辺の山々」として、別章で扱います。
東端は、関東平野との境です。ここには「八王子構造線」と呼ばれる断層があると推定されており、割と明確な境界となっています。基盤岩はこの断層より東の関東平野部では、地下千m~数千mまで大きく沈降しています(文献3)。
2)関東山地の地形的特徴
関東山地は、東西で約60kmあり、また前述の西上州の山々を除くと、南北方向も約50kmある、四角形状の山地を形成しています。
その地形的な特徴は、まず東西方向に背骨にあたる主稜線が走り(いわゆる奥秩父連峰)、雲取山(2017m)から甲武信山(2475m)などを経て、西端の金峰山(2599m)まで2000m以上の稜線が続きます。
背骨にあたるその主稜線から肋骨のように、北側、南側にいくつかの支稜線が派生しています。
また全体的には、東側よりも西側のほうが高い傾向があります。これは、東側は関東平野が沈降傾向にあることと関連していると考えられています(文献2)
ただ、なぜ西側が2500mを超える高い山を形成しているかについては、詳しい理由は解っていません。
なお関東山地北東部には、「秩父盆地」があり、関東山地の中ではっきりした盆地を形成しています。この盆地の起源は(文献3)によると、新第三紀 中新世中期(約15Ma)に日本列島中央部に生じた多数の断層活動によって生じた半地溝(ハーフグラーベン)の地形が元となっていると考えられており、起源がかなり古い盆地といえます。なお現在でも秩父盆地と周囲の山地との境は断層で画されています。
その地形的な特徴は、まず東西方向に背骨にあたる主稜線が走り(いわゆる奥秩父連峰)、雲取山(2017m)から甲武信山(2475m)などを経て、西端の金峰山(2599m)まで2000m以上の稜線が続きます。
背骨にあたるその主稜線から肋骨のように、北側、南側にいくつかの支稜線が派生しています。
また全体的には、東側よりも西側のほうが高い傾向があります。これは、東側は関東平野が沈降傾向にあることと関連していると考えられています(文献2)
ただ、なぜ西側が2500mを超える高い山を形成しているかについては、詳しい理由は解っていません。
なお関東山地北東部には、「秩父盆地」があり、関東山地の中ではっきりした盆地を形成しています。この盆地の起源は(文献3)によると、新第三紀 中新世中期(約15Ma)に日本列島中央部に生じた多数の断層活動によって生じた半地溝(ハーフグラーベン)の地形が元となっていると考えられており、起源がかなり古い盆地といえます。なお現在でも秩父盆地と周囲の山地との境は断層で画されています。
3)関東山地の隆起、形成
関東山地がいつごろからこのような2500m級の山地を形成し始めたか?詳しいことは解っていません。ただ、南隣の丹沢山地との間にある、桂川沿いの堆積岩層(愛川層群)の解析によると、丹沢山地(地塊)が日本列島に衝突した約5Ma(500万年前)頃にはすでに、礫を供給するほどの高まりとなっていたと推定されています(文献2)。
北アルプスの隆起開始が約2Ma(急激な隆起は約1Ma~),南アルプスの隆起開始が約2Ma,中央アルプスの隆起開始が約0.7Maと考えられているのと比較して、関東山地の山々は日本アルプスの山々よりも、かなり古くから山地を形成していたと考えられます。
5Ma以降は、南から衝突してきた丹沢地塊の南からの圧力により、隆起活動が強まったと推定されます。(本連載の5-4章も参照下さい)
また(文献3)によると、関東地方を含む日本列島中央部は、約3Maから強い圧縮応力場となり、山地部の隆起と、平野、盆地部の沈降とが並行して進行したと考えられており、関東山地のさらなる隆起には、この影響もあると思われます。
北アルプスの隆起開始が約2Ma(急激な隆起は約1Ma~),南アルプスの隆起開始が約2Ma,中央アルプスの隆起開始が約0.7Maと考えられているのと比較して、関東山地の山々は日本アルプスの山々よりも、かなり古くから山地を形成していたと考えられます。
5Ma以降は、南から衝突してきた丹沢地塊の南からの圧力により、隆起活動が強まったと推定されます。(本連載の5-4章も参照下さい)
また(文献3)によると、関東地方を含む日本列島中央部は、約3Maから強い圧縮応力場となり、山地部の隆起と、平野、盆地部の沈降とが並行して進行したと考えられており、関東山地のさらなる隆起には、この影響もあると思われます。
4)関東山地の地質概要
この章で取り扱う関東山地の地質の概要を述べます。
関東山地の地質は、実は西南日本外帯(九州南部、四国のほとんど、紀伊半島、南アルプス)の地質(地帯群)の続きで出来ています。
具体的には北側から、三波川帯(高圧型変成岩)、秩父帯(ジュラ紀付加体)、四万十帯(白亜紀、古第三紀付加体)と、きれいな帯状に並んでいます(文献4)。
その理由は、次の(5)節で説明します。
また、関東山地の西部、金峰山付近は、約15Maに、地下から上がって来たマグマが冷えてできた、深成岩の一種、花崗岩類でできており、まとめて「甲府深成岩体」と呼ばれています。
その他、関東山地の北部、西上州の山々との間あたりには、「山中(さんちゅう)地溝帯」と呼ばれる地域があり、そこには白亜紀の汽水性~浅海性堆積層があります(文献4)。
関東山地の地質は、実は西南日本外帯(九州南部、四国のほとんど、紀伊半島、南アルプス)の地質(地帯群)の続きで出来ています。
具体的には北側から、三波川帯(高圧型変成岩)、秩父帯(ジュラ紀付加体)、四万十帯(白亜紀、古第三紀付加体)と、きれいな帯状に並んでいます(文献4)。
その理由は、次の(5)節で説明します。
また、関東山地の西部、金峰山付近は、約15Maに、地下から上がって来たマグマが冷えてできた、深成岩の一種、花崗岩類でできており、まとめて「甲府深成岩体」と呼ばれています。
その他、関東山地の北部、西上州の山々との間あたりには、「山中(さんちゅう)地溝帯」と呼ばれる地域があり、そこには白亜紀の汽水性~浅海性堆積層があります(文献4)。
5)関東山地と「南西日本」ブロックとの関係
現在、地質学的には、糸魚川静岡構造線(糸静線)より西が「南西日本」、東側が「東北日本」と区分されています。
(さらに「南西日本」は、中央構造線を境に太平洋側を「西南日本 外帯」、日本海側を「西南日本 内帯」と区分します。)
しかし、「東北日本」に属するはずの関東山地に、「西南日本」の地質があるのには、ちょっとややこしい理由があります。以下その点を(文献5)などの文献を元に説明します。
もともと、約25Maころまでの日本列島に相当する地域(以下、説明の都合上、この地域を仮称ですが「古第三紀 原日本」と称することにします)は、アジア大陸にくっついた形で存在していました。「古第三紀 原日本」は、現在のロシア沿海州沖から朝鮮半島南部沖まで、斜めに棒状に並んでいた地域でした。
それが、約20Ma頃に、「古第三紀 原日本」と大陸との間の部分のプレートが割れはじめ、そこが日本海となり、どんどん広がりました。
その際、「古第三紀 原日本」は、「南西日本」ブロックと、「東北日本」ブロックの2つに分かれて別々に移動していったと考えられています(東北日本ブロックはさらに複数に割れて移動したという説もあり)。この移動が終了し、現在の位置に定置したのは約15Maです。
(以下、これを「列島移動イベント」と称します)
関東山地は、「古第三紀 原日本」が一体ものだった時代には、海洋プレート沈み込み帯に接する場所として、今の南西日本外帯と同じテクトニック環境にあったので、三波川帯、秩父帯、四万十帯は、「列島移動イベント」よりずいぶんと前に出来上がっていました。
それがこの「列島移動イベント」によって「古第三紀 原日本」が2つに分かれて移動したため、糸静線より東にあるにもかかわらず、関東山地は、「古第三紀 原日本」外帯の地質構造を維持したまま、今の位置に定置しているわけです。
なお上記の三波川帯、秩父帯、四万十帯の地質は、関東平野の地下深くにも存在していることがボーリンク調査によって確認されており、関東平野の少なくとも南半分は、地下では関東山地の続きの地質です(文献3)。
(さらに「南西日本」は、中央構造線を境に太平洋側を「西南日本 外帯」、日本海側を「西南日本 内帯」と区分します。)
しかし、「東北日本」に属するはずの関東山地に、「西南日本」の地質があるのには、ちょっとややこしい理由があります。以下その点を(文献5)などの文献を元に説明します。
もともと、約25Maころまでの日本列島に相当する地域(以下、説明の都合上、この地域を仮称ですが「古第三紀 原日本」と称することにします)は、アジア大陸にくっついた形で存在していました。「古第三紀 原日本」は、現在のロシア沿海州沖から朝鮮半島南部沖まで、斜めに棒状に並んでいた地域でした。
それが、約20Ma頃に、「古第三紀 原日本」と大陸との間の部分のプレートが割れはじめ、そこが日本海となり、どんどん広がりました。
その際、「古第三紀 原日本」は、「南西日本」ブロックと、「東北日本」ブロックの2つに分かれて別々に移動していったと考えられています(東北日本ブロックはさらに複数に割れて移動したという説もあり)。この移動が終了し、現在の位置に定置したのは約15Maです。
(以下、これを「列島移動イベント」と称します)
関東山地は、「古第三紀 原日本」が一体ものだった時代には、海洋プレート沈み込み帯に接する場所として、今の南西日本外帯と同じテクトニック環境にあったので、三波川帯、秩父帯、四万十帯は、「列島移動イベント」よりずいぶんと前に出来上がっていました。
それがこの「列島移動イベント」によって「古第三紀 原日本」が2つに分かれて移動したため、糸静線より東にあるにもかかわらず、関東山地は、「古第三紀 原日本」外帯の地質構造を維持したまま、今の位置に定置しているわけです。
なお上記の三波川帯、秩父帯、四万十帯の地質は、関東平野の地下深くにも存在していることがボーリンク調査によって確認されており、関東平野の少なくとも南半分は、地下では関東山地の続きの地質です(文献3)。
(参考文献)
文献1)米倉、貝塚、野上、鎮西 編
「日本の地形 第1巻 総説」 東京大学出版会 刊 (2001)
のうち、1-3章 「日本列島とその周辺の地形区分」の項
文献2)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」東京大学出版会刊(2000)
のうち、3-1章 「関東山地と秩父盆地」の項
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、1-4-5節「関東平野の深部地下構造の解釈」の項
文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2-2章 「関東山地」の項
文献5)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、1-4章「新第三系研究の進展」の項
「日本の地形 第1巻 総説」 東京大学出版会 刊 (2001)
のうち、1-3章 「日本列島とその周辺の地形区分」の項
文献2)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」東京大学出版会刊(2000)
のうち、3-1章 「関東山地と秩父盆地」の項
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、1-4-5節「関東平野の深部地下構造の解釈」の項
文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2-2章 「関東山地」の項
文献5)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、1-4章「新第三系研究の進展」の項
このリンク先の、5-1章の文末には、第5部「関東西部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年11月24日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5-1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5-1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
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