(はじめに)
この章では、尾瀬とその周辺の山々の地質、および尾瀬ヶ原の成り立ちについて説明します。
尾瀬は、山だけでなく、高層湿原の尾瀬ヶ原や高山湖の尾瀬沼など、風光明媚な場所で、登山者だけでなく、ハイカー、一般観光客も訪れる有名な場所なのは、ご承知のとおりです。
尾瀬には、東に燧ケ岳(ひうちがたけ:2356m)がそびえ、尾瀬ヶ原を挟んで西には、至仏山(しぶつさん;2228m)がそびえており、いずれも日本百名山です。それ以外には、尾瀬ヶ原の北側に、日本三百名山に選定されている景鶴山(けいずるさん、現在は入山禁止:2004m)などもあり、山あり、湿原あり、高山湖あり、花ありの、自然豊かな場所として有名です。
この章では、尾瀬ヶ原、尾瀬沼を囲む山々のうち、至仏山、景鶴山などの地質について説明します。また周辺の地質についても説明します。なお燧ケ岳は活火山ですが、尾瀬のシンボルの一つでもあるので、簡単に説明します。
また、尾瀬ヶ原や尾瀬沼の成り立ちや地形的な特徴についても述べます。
尾瀬は、山だけでなく、高層湿原の尾瀬ヶ原や高山湖の尾瀬沼など、風光明媚な場所で、登山者だけでなく、ハイカー、一般観光客も訪れる有名な場所なのは、ご承知のとおりです。
尾瀬には、東に燧ケ岳(ひうちがたけ:2356m)がそびえ、尾瀬ヶ原を挟んで西には、至仏山(しぶつさん;2228m)がそびえており、いずれも日本百名山です。それ以外には、尾瀬ヶ原の北側に、日本三百名山に選定されている景鶴山(けいずるさん、現在は入山禁止:2004m)などもあり、山あり、湿原あり、高山湖あり、花ありの、自然豊かな場所として有名です。
この章では、尾瀬ヶ原、尾瀬沼を囲む山々のうち、至仏山、景鶴山などの地質について説明します。また周辺の地質についても説明します。なお燧ケ岳は活火山ですが、尾瀬のシンボルの一つでもあるので、簡単に説明します。
また、尾瀬ヶ原や尾瀬沼の成り立ちや地形的な特徴についても述べます。
1)至仏山の地質
至仏山(しぶつさん:2228m)は、登った方はよくわかると思いますが、赤茶けた岩がゴロゴロとして、木々があまり生えていない、ちょっと変わった感じの山です。
この至仏山の大部分を構成している地質は、「蛇紋岩」(じゃもんがん)と言い、マントル由来の「かんらん岩」が、さらに地中で水(H2O)と反応してできた岩石です。なお(文献1)によると、一部はかんらん岩も含まれているようです。
「蛇紋岩」およびその源岩である 「かんらん岩」は、日本では点在的に分布しており、代表的な場所としては、北海道のアポイ岳、東北の早池峰山、北アルプス唐松岳中腹の八方尾根、四国の東赤石山などが挙げられます。
蛇紋岩およびかんらん岩は鉄分(Fe),マグネシウム分(Mg)の含有量が多く、岩石分類上は「超苦鉄質岩」(ちょう くてつしつがん:Ultra-Mafic)に分類されます。その他にもニッケル(Ni)などの重金属も含んでおり、それらの重金属元素の影響と推定されていますが、植物の生育を阻害しやすい特性があります(文献2)。
よって通常の樹木は育ちにくく、かわりにその土壌に適応した高山植物が多く育ち、花の名山として有名な山が多いという面もあります。至仏山も「花の百名山」(文献3)に選ばれています。
また蛇紋岩の表面は、含まれる鉄分が酸化して、サビ色やベージュ色をしていることが多いのですが、未風化の内部は黒みがかった藍色をしており、これが本来の色調です。
その他に、濡れると非常に滑りやすいという特性があります。
また蛇紋岩は、風化しても、ちゃんとした土壌を形成しずらいようです。そのため、登山道の植生が踏み付けによって失われると、植生の再生が困難で、登山道が岩のむき出しになったガレ沢状となりやすい、という問題を持っています、そのために至仏山の登山道(「山の鼻」地区からの道)は過去しばしば、通行禁止になりました。
至仏山を構成する蛇紋岩は、産総研「シームレス地質図v2」を広く見ると、至仏山から南西方向へと分布域が延び、至仏山からほど近い笠ヶ岳(2057m)も同じ蛇紋岩で出来ています。
その他、利根川源流域(藤原湖と、奥利根ダムとの間あたり)に、3−4個の小岩体が分布しており、さらに西側の谷川岳の蛇紋岩体へと続いているようにも見えます。
また、至仏山の蛇紋岩体が延びている南西方向の先には、第四紀火山である上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)がそびえていますが、その南側の山麓にも、蛇紋岩体が変成岩類(川場変成岩)と共に、部分的に分布しており、上州武尊山の噴火、形成前には、至仏山領域と、武尊岳南部の領域とは、一つながりのゾーンだったと推定されています(文献1)。
さて、至仏山やその西方に分布する蛇紋岩体はなぜ地下深くからこの場所へと上昇してきたのでしょうか?
これについて、明解な説明はできませんが、至仏山の蛇紋岩体を含め、上越一帯の山地には、周囲の地質と異なっている地質群が、あちこちに散在しており、これらをまとめて、「上越帯(じょうえつたい)」という地体構造の構成要素とされています。
「上越帯」は日本の地帯構造区分上、謎の深い「地帯」です。
一説では、糸静線より西側にある西南日本に分布している「地帯」のうち、「蓮華(変成岩)帯」、「舞鶴帯」、「秋吉帯」などの東方延長であり、長い間の浸食によって帯状構造が失われて、それらの地質体がバラバラに点在しているのではないか?と考えられています。
この至仏山の大部分を構成している地質は、「蛇紋岩」(じゃもんがん)と言い、マントル由来の「かんらん岩」が、さらに地中で水(H2O)と反応してできた岩石です。なお(文献1)によると、一部はかんらん岩も含まれているようです。
「蛇紋岩」およびその源岩である 「かんらん岩」は、日本では点在的に分布しており、代表的な場所としては、北海道のアポイ岳、東北の早池峰山、北アルプス唐松岳中腹の八方尾根、四国の東赤石山などが挙げられます。
蛇紋岩およびかんらん岩は鉄分(Fe),マグネシウム分(Mg)の含有量が多く、岩石分類上は「超苦鉄質岩」(ちょう くてつしつがん:Ultra-Mafic)に分類されます。その他にもニッケル(Ni)などの重金属も含んでおり、それらの重金属元素の影響と推定されていますが、植物の生育を阻害しやすい特性があります(文献2)。
よって通常の樹木は育ちにくく、かわりにその土壌に適応した高山植物が多く育ち、花の名山として有名な山が多いという面もあります。至仏山も「花の百名山」(文献3)に選ばれています。
また蛇紋岩の表面は、含まれる鉄分が酸化して、サビ色やベージュ色をしていることが多いのですが、未風化の内部は黒みがかった藍色をしており、これが本来の色調です。
その他に、濡れると非常に滑りやすいという特性があります。
また蛇紋岩は、風化しても、ちゃんとした土壌を形成しずらいようです。そのため、登山道の植生が踏み付けによって失われると、植生の再生が困難で、登山道が岩のむき出しになったガレ沢状となりやすい、という問題を持っています、そのために至仏山の登山道(「山の鼻」地区からの道)は過去しばしば、通行禁止になりました。
至仏山を構成する蛇紋岩は、産総研「シームレス地質図v2」を広く見ると、至仏山から南西方向へと分布域が延び、至仏山からほど近い笠ヶ岳(2057m)も同じ蛇紋岩で出来ています。
その他、利根川源流域(藤原湖と、奥利根ダムとの間あたり)に、3−4個の小岩体が分布しており、さらに西側の谷川岳の蛇紋岩体へと続いているようにも見えます。
また、至仏山の蛇紋岩体が延びている南西方向の先には、第四紀火山である上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)がそびえていますが、その南側の山麓にも、蛇紋岩体が変成岩類(川場変成岩)と共に、部分的に分布しており、上州武尊山の噴火、形成前には、至仏山領域と、武尊岳南部の領域とは、一つながりのゾーンだったと推定されています(文献1)。
さて、至仏山やその西方に分布する蛇紋岩体はなぜ地下深くからこの場所へと上昇してきたのでしょうか?
これについて、明解な説明はできませんが、至仏山の蛇紋岩体を含め、上越一帯の山地には、周囲の地質と異なっている地質群が、あちこちに散在しており、これらをまとめて、「上越帯(じょうえつたい)」という地体構造の構成要素とされています。
「上越帯」は日本の地帯構造区分上、謎の深い「地帯」です。
一説では、糸静線より西側にある西南日本に分布している「地帯」のうち、「蓮華(変成岩)帯」、「舞鶴帯」、「秋吉帯」などの東方延長であり、長い間の浸食によって帯状構造が失われて、それらの地質体がバラバラに点在しているのではないか?と考えられています。
2)燧ケ岳と尾瀬沼
至仏山と並び立つ尾瀬のシンボル、燧ケ岳は見ただけで分かる通り、火山です。ここでは、(文献4)を元にした簡単な説明を行います。
燧ケ岳は、標高が2346mありますが、基盤の高度が約2000mと推定されているので、火山体自体の高さは、400〜500m程度と考えられます。
火山としての歴史は、約16-17万年前に活動を開始し、約10万年ごろに成層火山が完成、さらにその後も溶岩ドームの形成や、溶岩の噴出活動がありました。
約9000年前には、南側で大規模な山体崩壊が生じ、沼尻岩なだれ堆積物山麓に堆積させました。さらにそこに溶岩が流れ出ました(赤ナグレ溶岩流)。
その時に現在の沼尻川の出口がふさがって、尾瀬沼ができた、と考えられています。
なお岩質は、安山岩、デイサイト質です。
燧ケ岳は、標高が2346mありますが、基盤の高度が約2000mと推定されているので、火山体自体の高さは、400〜500m程度と考えられます。
火山としての歴史は、約16-17万年前に活動を開始し、約10万年ごろに成層火山が完成、さらにその後も溶岩ドームの形成や、溶岩の噴出活動がありました。
約9000年前には、南側で大規模な山体崩壊が生じ、沼尻岩なだれ堆積物山麓に堆積させました。さらにそこに溶岩が流れ出ました(赤ナグレ溶岩流)。
その時に現在の沼尻川の出口がふさがって、尾瀬沼ができた、と考えられています。
なお岩質は、安山岩、デイサイト質です。
3)尾瀬ヶ原北側の山並み、景鶴山など
尾瀬ヶ原は、東に燧ケ岳、西に至仏山という大きな山があるのに加え、北側も2000m程度の山並み、南側もアヤメ平のある台地状の地形があって、四方が山に囲まれています。
このうち、北側の山並みには、日本三百名山でもある景鶴山(けいづるさん;2004m)が含まれます。
この山並みの地質に関連した図書や文献は見つかりませんでしたので、産総研 「シームレス地質図v2」の解説もとに、説明を試みます。
この山並みを形成している地質はほとんどが、古生代のペルム紀(約2.5-2.0億年前)に堆積した海成の泥岩です(なお、付加体型ではないらしい)。
前述の至仏山岩体(蛇紋岩、高圧型変成岩)とは、断層関係にあります。またその西隣、利根川源流域には、トリアス紀(約2.0-1.5憶年前)の海成泥岩層が比較的広く分布していますが、それとの間も、断層関係になっています。
尾瀬地区では、このペルム紀泥岩層は、ここだけに分布していますが、広域的に見ると、奥会津の桧枝岐村の西側、さらに北方の奥只見地区にかなり大きな分布域をもって広がっています。
全体には、ほぼ南北方向に広がる帯状の領域で、その一番南端が、景鶴山付近のこの地質になります。
このペルム紀の泥岩ゾーンのうち奥只見地域では、ペルム紀を示す腕足類(軟体動物の一種、二枚貝に似ている)が発見されています(文献5)。
なお、そのペルム紀泥岩層の構造的上位には、新第三紀 中新世末〜鮮新世(約7-2.6Ma)に噴出した火山岩(安山岩質)が点在しており、景鶴山も山頂部だけはこの安山岩質の火山岩でできています。
(文献6)、(文献9)によると、景鶴山は、約200万年前ころに盾状火山として活動し、その後、浸食によって山体の大部分が失われ、山頂部付近のみに火山岩が残っているとされています。
なお、これと同じ地質は、尾瀬の東側、沼山峠やその南東部にも比較的広く広がっています。(文献6)によると、景鶴山が火山活動を起こしたのちに、周辺の地域にも同様の火山活動が起きたと推定されています。
このうち、北側の山並みには、日本三百名山でもある景鶴山(けいづるさん;2004m)が含まれます。
この山並みの地質に関連した図書や文献は見つかりませんでしたので、産総研 「シームレス地質図v2」の解説もとに、説明を試みます。
この山並みを形成している地質はほとんどが、古生代のペルム紀(約2.5-2.0億年前)に堆積した海成の泥岩です(なお、付加体型ではないらしい)。
前述の至仏山岩体(蛇紋岩、高圧型変成岩)とは、断層関係にあります。またその西隣、利根川源流域には、トリアス紀(約2.0-1.5憶年前)の海成泥岩層が比較的広く分布していますが、それとの間も、断層関係になっています。
尾瀬地区では、このペルム紀泥岩層は、ここだけに分布していますが、広域的に見ると、奥会津の桧枝岐村の西側、さらに北方の奥只見地区にかなり大きな分布域をもって広がっています。
全体には、ほぼ南北方向に広がる帯状の領域で、その一番南端が、景鶴山付近のこの地質になります。
このペルム紀の泥岩ゾーンのうち奥只見地域では、ペルム紀を示す腕足類(軟体動物の一種、二枚貝に似ている)が発見されています(文献5)。
なお、そのペルム紀泥岩層の構造的上位には、新第三紀 中新世末〜鮮新世(約7-2.6Ma)に噴出した火山岩(安山岩質)が点在しており、景鶴山も山頂部だけはこの安山岩質の火山岩でできています。
(文献6)、(文献9)によると、景鶴山は、約200万年前ころに盾状火山として活動し、その後、浸食によって山体の大部分が失われ、山頂部付近のみに火山岩が残っているとされています。
なお、これと同じ地質は、尾瀬の東側、沼山峠やその南東部にも比較的広く広がっています。(文献6)によると、景鶴山が火山活動を起こしたのちに、周辺の地域にも同様の火山活動が起きたと推定されています。
4)尾瀬ヶ原南部、アヤメ平付近の地質
尾瀬ヶ原の南側も、北側と同様に、低い台地状の山並みがあります。
ここには「アヤメ平」という花の美しい湿原もあり、(文献7)によると、古くから尾瀬地区の名所だったようです。しかし、アヤメ平付近の富士見峠まで車で行けた時代があり、その頃に観光客やハイカーによるオーバーユースにより、アヤメ平一帯は荒廃したようです。 現在は、植生回復事業が行われているようです。
さて、この台地上の地形を構成する地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、思いのほか広い領域にわたって、第四紀中期(約180万年前〜約78前)の安山岩質火山岩でできています。
(文献8)によると、この一帯は、「アヤメ平火山」と呼ばれているようです。景鶴山火山よりやや遅れて、約160万年前に活動した火山で、安山岩質の溶岩でできており、(文献6)によると火山形態は景鶴山と同様の盾状火山だったと推定されています。
また(文献9)によると、このアヤメ平台地の下半分は、前述の「景鶴山火山」からの噴出物で構成されています。
このアヤメ平火山は、かなり古い時期の火山なので、火山体としての姿は失われており、盾状火山の名残りとして、台地状の地形を形成しています。
ここには「アヤメ平」という花の美しい湿原もあり、(文献7)によると、古くから尾瀬地区の名所だったようです。しかし、アヤメ平付近の富士見峠まで車で行けた時代があり、その頃に観光客やハイカーによるオーバーユースにより、アヤメ平一帯は荒廃したようです。 現在は、植生回復事業が行われているようです。
さて、この台地上の地形を構成する地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、思いのほか広い領域にわたって、第四紀中期(約180万年前〜約78前)の安山岩質火山岩でできています。
(文献8)によると、この一帯は、「アヤメ平火山」と呼ばれているようです。景鶴山火山よりやや遅れて、約160万年前に活動した火山で、安山岩質の溶岩でできており、(文献6)によると火山形態は景鶴山と同様の盾状火山だったと推定されています。
また(文献9)によると、このアヤメ平台地の下半分は、前述の「景鶴山火山」からの噴出物で構成されています。
このアヤメ平火山は、かなり古い時期の火山なので、火山体としての姿は失われており、盾状火山の名残りとして、台地状の地形を形成しています。
5)尾瀬ヶ原の形成過程
尾瀬ヶ原は言うまでもなく、日本を代表する高層湿原(注釈1)で、かつ日本最大の面積を持ちます(約7.6km^2)(文献11)。
(文献6)、(文献7)によると、古くは、尾瀬ヶ原は元々、高山湖(「古尾瀬湖」)であって、その後、周辺からの土砂の流入によって埋め立てられて湿原化したと考えられていたようです。
しかし、(文献7)によると、1972年に、尾瀬ヶ原の地下をボーリング調査したところ、地下81mまで調査しても、湖があったという証拠は見つからず、盆地状地形に堆積した土砂によって平坦な地形がまず形作られた、という説が有力とのことです。
その後、(文献10)によると、間氷期になってから、夏は温暖化して植物が生えるようになり、一方、冬季は、対馬暖流の影響で尾瀬を含む日本海側では冬季の積雪量が、氷河期よりもむしろ増えたと考えられています。
そのために、尾瀬ヶ原のようになだらかで水はけのあまり良くない場所では、冬季の積雪が溶けた水が、そこに溜まるようになり、(文献10)によると、約8000年前から、湿原としての尾瀬ヶ原と、そこに生える草から生じた泥炭層が堆積していった、と推定されています。
なお尾瀬ヶ原は表面の植生部分の下は分厚い泥炭層になっており、(文献6)、(文献9)によると、泥炭層の厚さは最大で約5mと推定されています。
尾瀬ヶ原は日本を代表する山地の湿原ですが、尾瀬の周辺には大小の湿原が分布しています。例えば、日光の戦場ヶ原、帝釈山地の田代山湿原、会津駒ケ岳の山頂付近などが挙げられます。これらの湿原の形成は、尾瀬ヶ原よりも約1000-2000年遅れて始まったと推定されていますが、湿原形成メカニズムは、尾瀬ヶ原と同じと考えられています(文献10)。
注釈1)「高層湿原(こうそうしつげん)」とは?
「高層湿原」という植物学の用語は、多少、誤解されやすい用語なので、
簡単に説明しておきます。
湿原を「低層湿原」と「高層湿原」とに区分することがありますが、
これは、その湿原がある場所の標高とは無関係です。
(文献11)によると、「高層湿原」とは、周囲から流入する水が届かない
高さまで泥炭表面が発達した湿原です。
一方「低層湿原」とは、泥炭表面が低く、周囲の水域と同程度の高さの湿原
です。
尾瀬ヶ原や、日本の積雪地の山間部にある湿原の多くが、「高層湿原」です。
一方、北海道の釧路湿原は日本最大の湿原ですが、分類上は「低層湿原」です
(文献12)。
(文献6)、(文献7)によると、古くは、尾瀬ヶ原は元々、高山湖(「古尾瀬湖」)であって、その後、周辺からの土砂の流入によって埋め立てられて湿原化したと考えられていたようです。
しかし、(文献7)によると、1972年に、尾瀬ヶ原の地下をボーリング調査したところ、地下81mまで調査しても、湖があったという証拠は見つからず、盆地状地形に堆積した土砂によって平坦な地形がまず形作られた、という説が有力とのことです。
その後、(文献10)によると、間氷期になってから、夏は温暖化して植物が生えるようになり、一方、冬季は、対馬暖流の影響で尾瀬を含む日本海側では冬季の積雪量が、氷河期よりもむしろ増えたと考えられています。
そのために、尾瀬ヶ原のようになだらかで水はけのあまり良くない場所では、冬季の積雪が溶けた水が、そこに溜まるようになり、(文献10)によると、約8000年前から、湿原としての尾瀬ヶ原と、そこに生える草から生じた泥炭層が堆積していった、と推定されています。
なお尾瀬ヶ原は表面の植生部分の下は分厚い泥炭層になっており、(文献6)、(文献9)によると、泥炭層の厚さは最大で約5mと推定されています。
尾瀬ヶ原は日本を代表する山地の湿原ですが、尾瀬の周辺には大小の湿原が分布しています。例えば、日光の戦場ヶ原、帝釈山地の田代山湿原、会津駒ケ岳の山頂付近などが挙げられます。これらの湿原の形成は、尾瀬ヶ原よりも約1000-2000年遅れて始まったと推定されていますが、湿原形成メカニズムは、尾瀬ヶ原と同じと考えられています(文献10)。
注釈1)「高層湿原(こうそうしつげん)」とは?
「高層湿原」という植物学の用語は、多少、誤解されやすい用語なので、
簡単に説明しておきます。
湿原を「低層湿原」と「高層湿原」とに区分することがありますが、
これは、その湿原がある場所の標高とは無関係です。
(文献11)によると、「高層湿原」とは、周囲から流入する水が届かない
高さまで泥炭表面が発達した湿原です。
一方「低層湿原」とは、泥炭表面が低く、周囲の水域と同程度の高さの湿原
です。
尾瀬ヶ原や、日本の積雪地の山間部にある湿原の多くが、「高層湿原」です。
一方、北海道の釧路湿原は日本最大の湿原ですが、分類上は「低層湿原」です
(文献12)。
(参考文献)
文献1)茅原
「新潟堆積盆地に関する最近の地質学的諸問題」
石油技術協会誌 第51巻、p12-27 (1986)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt1933/51/4/51_4_272/_article/-char/ja/
(J−Stage:リンク先からPDFファイルをダウンロードできる)
文献2)
波多野、増沢 「白馬山系蛇紋岩地の土壌特性と高山植物群落」
日本生態学会誌 第58巻 、p199-204 (2008)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seitai/58/3/58_KJ00005106553/_pdf
文献3)ウイキペディア 「花の百名山」の項
2021年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B1%B1
文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、第9部「第四紀の活動的な火山」、
9―4−5節「燧ケ岳」の項
文献5)田沢、新潟基盤研究会 著
「新潟―福島県境付近の奥只見地区から産出した、
ペルム紀腕足類とその構造地質学的意義」地質学雑誌、第105巻
p729-732 (1999)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/105/10/105_10_729/_pdf/-char/ja
文献6)小泉
「不思議を発見する山歩き 知的登山のすすめ 第18号
−尾瀬のおいたち、高層湿原と対馬暖流」
ネット記事:「登山時報」 2004年7月号
http://www.jwaf.jp/publication/magazine/backnumber/2004/0407-1.html
文献7)
ウイキペディア 「尾瀬」の項
2021年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%80%AC
文献8)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊 (2008)
のうち、7−3章「第四紀火山概説」、表7.3.1
文献9)野原
「尾瀬の自然環境の概要」
低温科学、 第70巻 p9-20 (2012)
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/48999/1/LTS70_003.pdf
文献10)
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、第2部「関東北部の山地と火山群」、「コラム;山地湿地」の項
文献11)ウイキペディア 「湿原」の項
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BF%E5%8E%9F
文献12)環境庁作成資料
日本のラムサール条約湿地;「釧路湿原」
https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/ramsarsitej/RamsarSites_jp_web17.pdf
「新潟堆積盆地に関する最近の地質学的諸問題」
石油技術協会誌 第51巻、p12-27 (1986)
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文献2)
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文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、第9部「第四紀の活動的な火山」、
9―4−5節「燧ケ岳」の項
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文献6)小泉
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−尾瀬のおいたち、高層湿原と対馬暖流」
ネット記事:「登山時報」 2004年7月号
http://www.jwaf.jp/publication/magazine/backnumber/2004/0407-1.html
文献7)
ウイキペディア 「尾瀬」の項
2021年2月 閲覧
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文献8)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊 (2008)
のうち、7−3章「第四紀火山概説」、表7.3.1
文献9)野原
「尾瀬の自然環境の概要」
低温科学、 第70巻 p9-20 (2012)
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/48999/1/LTS70_003.pdf
文献10)
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、第2部「関東北部の山地と火山群」、「コラム;山地湿地」の項
文献11)ウイキペディア 「湿原」の項
2021年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BF%E5%8E%9F
文献12)環境庁作成資料
日本のラムサール条約湿地;「釧路湿原」
https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/ramsarsitej/RamsarSites_jp_web17.pdf
このリンク先の、6−1章の文末には、第6部「関東北部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年2月12日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
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- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 18 更新日:2023年03月18日
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